樹門流占い師 外崎:社風について | 占いブログ 魂ゆら占い 二代目樹門幸宰

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二代目樹門幸宰こと、外崎と申します。

樹門流姓名判断を主に日々東京・幡ヶ谷にて皆様の鑑定をしております。

ブログを通してより多くの皆様に樹門流占術のご理解の役に立てればと思います。

樹門流占い師のトノサキです。




江戸時代は各土地土地に“藩”という領地があり、


その藩には藩主となる殿様がいました。


そして、初代藩主がつくった藩の訓示が色濃く残り、


藩のカラー=藩風が代々藩主にも受け継がれ、


260年という長い年月を経てやがて明治を迎えます。




例えば、高知の土佐藩の初代藩主は山内一豊ですが、


もともとは掛川城主(現在の静岡)でしたが


そこにいた家臣を土佐に連れて行きました。


その連れて行った家臣団を“上士”、


土佐にいた在来の旧主の家臣や軍団や住民を“郷士”として


徹底的な差別を強いました。


これを幕末まで続けますが、


いわばずっと進駐軍のまま260年を過ごしたことになります。


ちなみにこの“郷士”の中から坂本龍馬が輩出します。




また、会津藩の初代藩主保科正之は、


江戸幕府第3代将軍徳川家光の異母弟で家光は


実直な(保科)正之をかわいがったようです。


そして、家光は死に臨んで枕頭に正之を呼び寄せ、


「徳川宗家を頼みおく(徳川将軍家を絶やさぬように)」と言い残しました。


感銘した正之は『会津家訓』をつくり、


第一条に「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、


藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記し、


以降、藩主や藩士は忠実に守りました。


そして会津藩最後の藩主は幕末、


幕府側の中心人物として最後まで徹底的に新政府軍と戦いました。


特に白虎隊などが有名ですね。




話が長くなりましたが、


藩風とは藩という国のかたちをつくります。


現在でいえば、会社の社長が会社を設立し、


その社長が会社のかたち=社風をつくるのです。


その社風が万事風通しの良い会社ならその社風が残り、


もしも隠蔽体質の社長ならばその社風も残ることになります。


初代社長には重大な社風をつくるという責務があると言えます。



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