★富は天賦→孔子は清貧な“青雲の士”となった★
【述而第七の11(158)】<原文と(→読み下し
<子曰。 (→子曰く、
<富而可求也。(→富にして求むべくんば、
<雖執鞭之士。(→執鞭(しつべん)の士といえども、
<吾亦爲之。 (→吾またこれをなさん。
<如不可求。 (→もし求むべからずんば、
<從吾所好。 (→吾が好むところに従わん。
“Muliti-Lingual Web Site of Confucius Publishing”の英訳:
<If riches could be acquired,
<I would be even becoming a whip holder.
<Since they cannot be acquired,
<I follow that to which I devoted. →意訳:
=もしも富が奪取して良い筋合いのものならば、
=私は下賎な役人にでもなって鞭でも握ろうか。
=されど富は奪取するものではありえないから
=私は自分の信ずる仁の道を着実に追うまでだ。
“論語に学ぶ会”の子共論語の意訳:
<お金になりさえすればいい! とばかりに賤しい
<仕事に手を出すと、割り切ったつもりでも、段段
<罪の意識がマヒして深みにはまって行くものだ。
<人間は、環境と習慣に左右される生きものだからね。
<初めはお金にならなくても、自分が好きで得意な道を、
<あせらず・あわてず・あきらめずコツコツと頑張て
<ごらん!? 必ず芽が出て花が咲く。
Papagenoのメモ: “青雲の志”と“青雲の士”
“青雲の士”とは<学徳の高い人(広辞苑)>のこと。
かえりみれば、孔子は“天命”を知る50になるまで、
“青雲の志”<=立身出世して、高位・高官の地位に
至ろうとする功名心(広辞苑)>を追い求めた挙句に、