半妖の夜叉姫。好きなものを好きという気持ち大切に。 | 望む世界で生きる。彩り豊かな世界で生きる。

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えりです。アラフォーです。元、理学療法士。 
最近は野菜作りやハンドメイドをしたりしてのんびり生きています。
2015年10月Happyちゃんのブログに出会う。
自己否定、無価値観、罪悪感が強く、常に他人軸だった。今は「私はわたしで在る」「今ここ」がモットー。

『犬夜叉』というアニメの続編である

『半妖の夜叉姫』がスタート。

楽しみラブ絶対見るラブ
って今なら堂々と簡単に言えるんだけど…

昔は言えませんでしたチーン


私は当時『犬夜叉』が好きだった。

アニメを見たかったし

気になって仕方なかった。

でもその頃は私は高校生?くらいで
(何歳だったか忘れたけど)

アニメ犬夜叉を見ることに
とても抵抗があって

見たいのに見なかった。
見れなかった。


そこにあった思考は
「アニメは子供が見るもの」
「いい年した自分が見るものではない」
「この年でアニメを見るのはおかしい」
「アニメが好きって恥ずかしい」
「みんなと違うものを見たり、好きって間違っているかも」
「みんなから何て思われるか分からない」

こんな感じだった。



本当はアニメが好きで
犬夜叉も好きで見たいのに

"他人からどう思われるか"
"もうアニメを見る年じゃない"
"好きなものがみんなと同じものならいいけど、
この年でアニメ見てるなんて周りから浮くかも"

こんな思い込みが強くあって
自分が好きなものを好きと言えなかったし
見たいものを見ることができなかった。


紐解いていくと
こんなことでも

周りを気にして
他人の目を気にして

自分の好きという気持ちや
見たいという気持ちを

押し込めて
ないものにして

自分を否定して
したいことをさせてなかったんだな
と気づくえーん


今思うと、別に
「私は犬夜叉が好きです!アニメ見てます!」
なんて大声で言う必要もないし
アピールしなくてもいい。

テレビなんて家で見るもので
家族以外に何を見たかなんて
知られることもない。

見たいものを見ればいいし
言わなければいい。

それでよかったはずなのに
できなかった。


私の場合は好きが高じて
ミーハー魂に火がつくと

好きな気持ちが止められず
前面に出したくなるのだ。

誰かと語りたくなるし
それが好きだとアピールしたくなる。

そんな性分もあって
アニメを見ること自体は
バレなくても

アニメを見て好きになればなるほど
ハマってしまって

押さえられなくなるから
そうならないように
見ないようにしていた。



アニメは世界に誇れる日本の文化の一つだし

最近はSNS等もあってアニメが好きな人が
たくさんいるのが分かるし

日常の周りに同じ趣味の人がいなくても
ネットの世界で同じ趣味や
好きなものが同じ人達と出逢い語ることも
できるようになって

好きなものは好きと
言えるのかもしれない。

でも、当時はネットなんかなくて
学校の友達、部活の友達、クラスメイト

そんな目の前の友人や人達が
自分の世界の全てと思っていて

"みんな"と同じものを好きじゃないと
おかしいと思われたり
仲間外れにされたり、なったり
いじめられたり

"みんな"が好きなもの、
世間で流行っているもの、人気なものが
正解

"みんな"と違うものは不正解だと
本気で思っていた。

だからずっと"好き"もの一つにしても
外に正解があると思っていて
正解を探していた。


自分の"好き"なものが
みんなと同じで
世間でも人気があれば正解
堂々と言える。

でも、違えば不正解
言えない。

人と違うものが好きな私は
おかしい、変、間違っている。

だから、その好きは間違い!
好きと思わないようにしないと!
忘れよう!
なかったことにしよう!
ってしてたえーん


当時はアニメや漫画が好きなんて子が周りにほとんどいなくて、

おしゃれな子(バックや私服がおしゃれな子)やバンドを好きな子、彼氏がある子
なんて子たちが人気で、力を持っていて、

そこと仲良くしていたら安心で
楽しく過ごせる。

だから人気のある子たちの"好き"が正解で
それ以外は間違い。

それ以外浮く。
それ以外は言えない。

そんなふうに感じてたし、
実際にそうしていた。


私は服には興味なかったけど
服に興味あるフリをしてた。
(でも興味ないからやっぱりダサかった)

バンドなんか興味なかったけど
周りの友人も好きな人が多かった。
そしてそれが正解だと思っていたから
好きだと言い、欲しくはなかったけど
みんなに合わせてCDを買った。

ほんとうは私は「19」が好きだった。
でも表立っては言えなかった。

世間の人気と違うものを好きだと思うたびに
私は間違っているのかも?と思っていたし

変なのか?おかしいのか?なんて
思い、いつも比較して自分を採点して
不安でいっぱいだった。

いつも正解を求めて
人と違うことを何より恐れていたんだよね。

思い返すと高校生頃なんかは
私は少女漫画が好きで
芸能人が好きで
テレビが好きで
アニメが好きで
部活が好きで
写真が好きで
おしゃべりが好きで
ただそれだけだったのに

その全部を否定して
間違っていないか不安になって
他人の目気にして振る舞って

いつしか自分の本当の好きとか
自分ってものが分からなくなっていったんだと
思う。


今思うとおかしなことだけど
本気でそう思っていたんだ。


ちょうど5年前の2015年10月に
Happyちゃんのブログ「世界は自分で創る」
と出逢うまでは。

ふと思い出したけどちょうど5年前
私は運命の出逢いをした。

Happyという存在を自分の人生に登場させたのだ。

私の人生の中で一番大きな出逢いで
まさにgood job!!な出来事だ。


そこから自分の好きがとても大切だと知った。

人と違っていいんだと言うこと。

人と違って自分だけの好きが自分の人生を変えるということ。

自分を導いてくれるということ。

自分の輪郭を形取ってくれるということ。

自分から湧き上がる気持ちを決しては否定せず、
なかったことにしなくていいんだということ。

そんなことを知り、
自分の好きとか気持ちとか感じる気分を
大切にしていったら

本当に幸せをたくさん感じるようになったし
何より生きるのがものすごく楽になった。

自分の好きなことを好きと言えるようになったし
想いをこうして言葉を綴れるようになった。

自分の望みが分かるようになったし
少しずつだけど快・不快とか
気分のいいとか悪いとか分かるようになった。

これって、本当に気分がいいラブ
素直に嬉しかったりする。


好きものを「好き」って言うとか

見たいアニメを堂々と見るとか

簡単なことのようだけど

自分の好きを抑え込んで生きてきた私にとっては
簡単なことじゃなかった。

他人が正解を持っていて
常に自分の思うことは間違いと思っていた
私にとって
とても難しいことだった。

だからとても嬉しいのだ。


過去の私に伝えたいことは

自分の好きだと思うものは堂々と好きでいていいよ。

好きだと思うことは好きなままでいい。

別に誰に言わなくていい。
自分以外の誰かに分かってもらわなくていい。

みんなと違っていい。
何歳でも、制限なんてないよ。

おかしくなんてない。

自分が好きだと思ったその気持ち大切にしていいよ。

なかったことにしなくていいよ。
押し付けたり、押し込めたり、押し殺さなくていいよ。

「これ好きー!楽しいー!」って時間は
そのエネルギーは最高に大切で
私の世界をまた一つ大きくしてくれるから

誰にも分かち合ってもらえなくても
1人で思いっきり味わって!!
楽しんで!!

思いっきりニヤニヤして
幸せな気持ちに浸って!!

誰の目も気にしてなくていいからね。

もし、誰かと語りたくなったり
共感したければ
そのうち出逢うから。

目の前にいなくても
世界には分かり合える人必ずいるから。


だからどうか自分の好きを大切にしてね。

ありもしない思い込みで
自分の好きを消さないで。
自分の湧き上がる感情をなかったものにしないで。
否定しないで。

好きを貫いていいんだからね。

それが何かになっても、ならなくてもいい。
何かに繋がっても繋がらなくてもいい。
意味があっても、意味がなくてもいい。
共感されても、されなくてもいい。
みんなと同じでも違ってもいい。

そんなことはどうでもいいんだ。
どうだっていいんだ。

大切なのはただ、自分がどう思うか。

自分が好きなのか、ただそれだけだ。

どうかどうか自分の好きを大切に。

そんなことを思います。


子供の頃からアニメが好きだった私は

本当はアニメに関わる仕事がしたかった。

声優さんに憧れた。

アニメの世界にいれたらな思っていた。

でも、真正面からぶつかって夢破れるのも
うまくいかなったら…と考えると怖かった。

だから、「声優になれるのは一握りの人達だけ」
とどこかで聞いたことのあるセリフを
自分に言い聞かせ

声優さんになりたい
声優やってみたい
って自分の憧れはなかったことにしたんだ。

「いつまでもアニメが好きとかって言ってらんない。大人にならないと。現実見ないと。」って。

そうやって、言い訳しては
現実を見るフリをしては

自分の望みや夢を否定して
無視して
打ち消してきたんだ。

一体、どれくらいの自分の声を
自分の望みを打ち消してきたんだろう。

一体どれだけのことを無視してきたんだろう。

傷つかないで済むようにと言い聞かせながら
どれだけ自分のことを否定し
傷つけてきたんだろう。

今の私はそんな無視してきた
なかったことにしてきた
傷つけてきた過去の自分を
少しずつでも思い出し

過去の自分の望みを思い出し
拾っていこう。

自分の声に耳を傾けてみよう。

あー、そうだったんだと気づくたび
胸がえぐられそうになり
泣きそうになるけど

一つずつ一つずつ
過去の自分と向き合っていこうと
思う。

まずは『犬夜叉』が好きだったこと。
アニメの世界の仕事がしたかったこと。
声優をやってみたかったこと。

そして今、『半妖の夜叉姫』が
とてつもなく楽しみだと言うこと。

それを思い出せてよかった照れ

また一つ、過去の自分のパーツを拾った
感じ。