プレゼンは資料作りで決まる!
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最近、アラフォーの知人男性が、希望の会社を受けて玉砕したという話を聞かせてくれた。
ゴールデンウイークの地下鉄は朝でも座れる、空間がある
「相手の話を聞きながら、パソコンに入力していく仕事なので、ブラインドタッチを練習してから応募したんですけどね…。仕方ないのでユーチューバーにでもなろうかと、動画ソフトを買ったんです」。
「ちょっと待って」と私。
たった1社落ちたくらいで、何を言っているのだ。
田舎でその企業しかないならともかく、東京なら似たような業態の会社はたくさんあるし、似たような職種だってあるだろう。
”あなたの決意はその程度のものだったのか”と言いたいくらい。
私は広島の会社の転勤で東京にきたが、倒産。
SNSで発見 うちの実家以外でも父のことを”パパちゃん”と呼ぶ家庭があった
その後、大手ゲームメーカーに転職するまで、90社ほど受けて落ちていた。
まだ、世の中にパソコンもインターネットもない時代の話で、情報源は新聞の求人や求人雑誌。
履歴書と職務経歴書は手書きして、切手を貼って郵送するのだ。
写真も都度貼る必要があって、証明写真も何度も撮った。
そういう手間がかかるので、当時は不合格者には応募書類の返却もあったものだ。
私の第二かかりつけ医の伊藤内科は日本で最もテレビ取材が入る町医者
古今東西「成功とは、どれだけ失敗しても成功するまで続けること」という意味合いの格言があるが、まさにその通り。
「1社落ちました」と言っても、どこかに受かるまで挑戦を続けないと収入はないままなので、やるしかない。
実家を離れ、結婚相手もおらず、パトロンもいなければ、自分で稼ぐしかないんだから。
(冷静に考えたら、当時でも申請すれば生活保護など受けられたのかもしれないが)
転職活動はいつまで続くかわからないので、昼間はいつ呼び出されてもいいように、夜のアルバイトをしていた。
(歌舞伎座の裏の高級料亭のお座敷係)
その店には2カ月しか働いていなかったので、転職活動は2カ月で終わったのだろう。
零細企業の倒産を経験しているので、次は何がなんでも一部上場企業!と思っていたが、なんとか希望通り、一部上場企業の広報職に就くことができた。
ご町内からパリ五輪に出場する選手がいるらしい(しかも美人)
そのほか、後に結婚した当時の彼氏が驚いていたのは、私がたまに面接に呼ばれて落ちて帰ってきても「でも、○○社の中に入って、中を見られたからよかったー」などと楽しそうに話していたことらしい。
仕事の合間の活動ではなく、どうせ無職ですることなどないんだから、社会見学だと思えばそれも楽しい。
ネット上で「○社受けたが全滅」みたいな記事を見かけるが、せいぜい10社程度。
多くても20社だ。
いやいや、そんなことで音を上げている場合じゃないでしよ。
ここに、90社落ちた猛者(もさ)がいます。
新卒でも、転職でも、まずは90社受けてから「仕事が全く決まらない」と言ってね。
後日談として、最終的に決まったコナミ宣伝室の仕事は1人のポストに約200人の応募があり、競争率は単純計算で200倍だったらしい。
資料だけで合否が決まるこの戦争体験を経て、今の私がある。
1社落ちたくらいであきらめるなんて絶対に早いよ。
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