陰膳 | 【日刊 ノボちゃん】

陰膳

先日は亡くなった恩師を偲ぶ会のため銀座まで。

 

中央通りに面した11階で天井が高い贅沢空間

 

宣伝会議というコピーライター養成講座の講師、岡部正泰先生が70歳の若さで亡くなられたのだ。
佐藤芳文先生も数年前に亡くなられたそうだ。

 

ウェブのランディングページで客を捕まえるための言葉を考える今どきの自称コピーライターとは違い、心を動かすクリエイティブとしてのコピーライティングを学べた私たちはなんと幸せだったのだろう。

 

「このクラスの中でまず一番にならなければ、とても広告の世界で戦っていけない」と、本当にまじめに取り組んでいたものだ。

 

基礎講座ではなく、“プロフェッショナル上級”と名のついたクラスだっただけに、20年前の1997年でも一流企業の一流クリエイターがほとんどだった。
つまり、学生ではなく社会人。

 

私の席からはビルのすき間の国会議事堂が目の前に

 

そして、連絡を取り合う=音信不通にならないのもオトナということで、集まったのは私と年齢の近い世代の方に6人なった。(ちなみにクラスは30人ほどだった)

きっちり20年前ということは、先生は当時50歳だったのか。

 

確実に出席というのは6人だったにもかかわらず、大手出版社勤務の幹事Aさんは7人分の席と料理を予約していた。

急に来られるようになった人がいて、ちょうどよかったが、逆に出席のはずなのに連絡もなく来ない人もあった。

 

大皿からの取り分けスタイル

 

来るはずの人のために料理を取り分けていたのだが、最後まで食べる人が現れず、結局「陰膳」(かげぜん)のようになってしまった。

 

陰膳とは本来、旅行や戦争などに行っている家を不在にしている人の分も食事を用意しておくことだ。
が、葬儀や法事の際に個人の分の食事も並べることも指すようだ。

 

陰膳のようになってしまった

 

弔事の際の乾杯は「献杯」(けんぱい)と呼ぶらしい。

 

これら、西日本では聞かない、体験したことがない習わしだが、それを体験することも東京に住む大人のマナーだろう。

 

それにしても、大手メディア勤務の管理職ともなれば、1人分多く席も食事も頼んでおくということをやるのだ。
そのあたりを勉強させてもらった。

 

みんな一流のクリエイターや広告マン

 

私を「おう、アマノ」と呼び捨てにするのは岡部先生だけだった。
もう、そう呼んでくれる人がいないかと思うと悲しい。

 

岡部先生に、献杯!

 

AURUM(銀座)

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