中川三郎先生 | 【日刊 ノボちゃん】

中川三郎先生

タップダンスを始めたいという友人を伴って、先日「ナショナル・タップデイ」を見に行ってきた。


若い頃は相当のイケメンダンサーでいらっしゃったのね


ナショナル・タップデイとは、タップダンスのスタジオの合同公演だ。


何を隠そう、私が上京後、初めて挑戦したダンスはタップだった。
広島にいる時代から一度習ってみたかったのだ。


タップダンスは3人の先生から習い、一番長かったのがJUN タップダンススタジオの大高純子先生。
そのJUN時代に、2年ほどタップデイに出演し、その後、各スタジオから受付スタッフを出すというとき制作側も経験させてもらった。


回を重ねて、今年が20回という。
この20年の出演者名一覧がパンフレットに出ていたが、私も掲載してもらっていた。


今回はタップデイを最初に企画された、中川三郎先生を記念した演出も数々行われた。

存命中の三郎先生姿を見たこともあるし、広義においては私も中川門下生なのだ。


大収容のメルパルクホール


タップの次に始めたジャズダンスはTAKASHI先生に師事している。
ある時、先生が大岡山の中川スタジオでもクラスを持つことになり、土曜日はそこでレッスンを続けていた。


三郎先生にはお子さんが何人かいらっしゃるが、三女の裕季子先生が跡を継がれていた。
「中川三郎スタジオ・スタジオクリエイト」という名称に変えて。


そこで、TAKASHIクラスとして、その後誘われてみれいクラスとして、たくさんの舞台に立たせていただいたのだ。


シアターアプル、博品館、ベルファーレ等、商業的なホールしか使われなかった。

発表会ではなく公演というものにこだわりを持たれてきた。



そういえば、「舞台人」という言葉に初めて触れたのもスタジオクリエイトだった。


三郎先生は偉大な方だとううすは知っていたが、今回、パネル展示や昔の映像で私が考えていた以上の方だと知った。

三郎先生の舞台写真ほかを初めて見た


戦前のニューヨーク・ブロードウェーでタップダンサーとして活躍されていたというのだ。
当時のアメリカと言えば、宇宙に出るほどの覚悟が必要だったはずだ。


帰国後も、ショービジネスやテレビ、芸能界を牽引されてきたらしい。
踊る三郎先生の映像を初めて拝見した。


アメリカのナショナル・タップダンスデイにならってスタートした公演


何もないところから地方都市でバトントワリングを追求してきた横山弘子先生にも圧倒されてきたが、中川三郎先生はそれ以上にすごい歴史を作ってこられたんだなあ。


その参加でダンス活動をしてこられたことに、改めて感謝しなければ。

一緒に行った友だちはタップを始めてくれるといいんだけどな。


ナショナル・タップデイ
http://www.ntd1991.com/


中川三郎
http://www.s-nakagawa.jp/ayumi.html


スタジオ・クリエイト
http://www.s-nakagawa.jp/


入口で全員にディズニーのUSBカバーを配布 太っ腹



プレゼン・コンシェルジュNOVOの辛口web日記は
ただいま【3686号】