ゴミ拾いで思うこと
家の敷地に風に舞って飛んできた
菓子パンの屑ゴミ。
仕方がなく拾ってゴミ箱に。
『食べた人が自分でちゃんと
ゴミ箱に捨ててよ』
ふと思って
仕方がなく拾う。
その時、心の中で
・誰が捨てたんやろう。
・我が家ではなかったら知らぬ顔でやり過ごす?
・それとも気にならない
ゴミが落ちてたら、
家の中では見つけときに、
当たり前のように拾えるのに
敷地外、
内と外?
私のもの、
誰かのもの
所有者は誰なのか
といった自分の枠に気づきました。
誰かが見てないから拾わない
誰かがみてるから拾う。
気に止めない。
それを見て怒る。
無意識に何を選択してるのだろう。
朝一番に15分ほど歩いて
ゴミ拾いをしてきました。
大きなことでもなくても
どこか遠くに行かなくても
手軽に、
できるのにやらなかったのだけど
近所をウォーキングするようになり、
空や空気を感じるとともに
地面に落ちたゴミが目に付いた。
たまたま家系学で月に一度ある
『陰徳実践会』
各自の場所でそれぞれが
ゴミ拾いをする日があり、
参加してきました。
Zoomを開いて、朝5時。
今の気温なら外にも出やすいし
日の出まであと1時間弱。
空は薄明るくなってきてる時間。
住宅地の周りを一周したら
タバコの吸殻、ペットボトル。
ちぎれた段ボール、
ゴミ袋半分ぐらいが拾えました。
ちょっとくらいとか無意識に
ポイ捨てされてるのもや
意図的に捨てられたもの。
そしてこれ無心にゴミを
拾えないモノ、抵抗があるもの
大きいゴミや汚れてるとか、
ゴミを選別してる。
我が家、
我が町、
我が国
日本、アジアに住んでる私は
大きく分けたら地球人。
枠をどこに引いてる。
私は私であるけれど、
地球のゴミは
我が家のものと同じではない
と錯覚してるのか。

拾ってみてわかるもの。
自分の小ささ。
もっとダイナミックな心持ちで
地球の一員として
生きたいね。