母の最期の誕生日会 | 自分らしさを大切に

母の最期の誕生日会

 

先週の「カンプリア宮殿/テレビ東京」では、

愛知に本社に置く、おとうふ工房いしかわが紹介されていた。

 

おからから作られるお菓子「きらず揚げ」でもよく知られる会社である。

(私もこのお菓子が大好き!)

 

社長の石川 伸氏が、子どもに食べさせたい豆腐づくりを熱く語っていたのが印象的だった。

 

この番組を見ていて思い出したことがある。

 

豆腐にまつわる、ちょっとした出来事だ。

 

小学生の頃、大豆から豆腐ができることに理解できずモヤモヤしていたところ、

母親が家業の取引先でもある豆腐製造会社に勤める職人さんに声をかけ、

家に招いて自宅の台所で豆腐づくりを実践してもらった。

 

私が駄々をこねて母親に頼んだわけではない。

 

ふだん仕事が忙しくてあまりかまってやれないことに引け目を感じて、

そんな行動に出たのだろうか。

 

豆腐以外にもこんなことがあった。

 

やはり子どもの頃、寿司ネタのトロが魚の種類ではなく部位だと説明されても納得できず、

これまた悶々としていたところ、母親が自分の行きつけの寿司屋に私を連れ出し、

トロ三昧の握りをご馳走してくれたことがある。

 

寿司屋の板前さんからトロの各種部位を最初に見せてもらって、

部位という概念を私が納得してから握ってもらうのである。

 

仕事を持っていた母は自由にできるいくばくかのお金があったとはいえ、

よくもまあ、こんなワガママな体験をさせてくれたものだ。

 

誤解を招くといけないので断っておくが、

母親は私に贅沢をさせたいと思っていたわけではない。

 

母は母なりのやり方で、私の好奇心を満たすのを楽しんでいたんじゃないかな。

 

これだけではない。

 

蜂の子(ヘボ)を獲って食べてみたい、鮎釣りを体験したい、松茸狩りをしたい等々、

私が母にお願いすると、その道に通じた人を見つけて叶えてくれた。

 

その母が逝って今年はもう14年目となる。

 

今日は、その母の誕生日である。

 

テレビを見て、豆腐にまつわる母とのエピソードを思い出したことで、

しばらく忘れていた母の最期の誕生日会の記憶もよみがえった。

 

母が入院していた病室に誕生日ケーキを持ってお見舞いし、

ローソクを灯して家族みんなでお祝いをした。

 

娘たちは、自分たちのお小遣いで買ったこまごましたものを母にプレゼントした。

 

そのあと、母親は「私からも贈りものがあるのよ」と言いながら

おもむろにポーチを私たちの前に差し出し、その中から宝石類を取り出した。

 

形見分けである。

 

母は結構な数のジュエリーを持っていた。

 

時計貴金属店を営む家に嫁いだ実姉から随分お値打ちに入手できたので、

それをいいことにコツコツ集めていたようだ。

 

母が所有する宝石は、石もデザインもバラエティーに富んでいた。

 

それを家族が優先というわけでもなく、

友人やお世話になった仕事のパートナーの名前を一人ひとりあげながら分けていった。

 

私は、てっきり全てを家族に譲ってくれるものだと思っていたので、

ちょっと拍子抜けした。

 

でも、母親らしいなと思った。

 

いま振り返ると、この光景は死期を受け入れた女性の悲しみを映す姿に他ならないのだが、

不思議とそんな感じはしなかった。

 

形見分けも自分でしなければ気が済まなかった母の気性が子どもみたいで、

どこかおかしくもあり、まわりの空気を和ませたからだろう。

 

母は、私の好奇心を満たすことにこだわったように、

人生の最期まで自身のおもいや欲求にも忠実に生きたに違いない。

 

それにしても、64歳の生涯はちょっと短かったな。