妻の誕生日に甦る記憶 | もっとよくなる

妻の誕生日に甦る記憶



私は共働きの両親のもと、外食の多い家庭で育ったので、
その反動なのか、家で食べられるごはんに無上の喜びを感じる。

休日などは、食材の買い出しから、もう胸が高鳴るほどだ。

それでも、妻の誕生日は、ちょっと贅沢して外食で祝うのである。

妻が子育てに追われていたときは、なかなか実行できなかった。

そのときの罪滅ぼしの気持ちがあるのかもしれないな。

もっと遡れば、結婚前にまで行き当たる。

誕生日のような記念日であっても、いつも利用するのは、
当時勤めていた会社があった東京九段下周辺の安い居酒屋ばかり。

妻にわざわざ会社の近くまで来てもらい、
食事を済ませると、私は再び仕事に戻るのである。

あの頃は媒体の仕事が多く、確かに恐ろしいほどの入稿を抱えていたが、
今思えば、何もそんな日にまでムキになって仕事をすることはなかったのだ。

ヘンなところが意地っ張りだから、同僚に頼んだりできないんだな。

あのときよく飲み食いした店はほとんどなくなってしまったが、
待合せ場所に利用したホテルグランドパレスは今も健在で佇まいも変わらない。

そういえば、あの頃よく遅刻して、妻をロビーで一人待たせたものだ。

そのときの罪悪感も消えていない。

そんな話はわざわざ自分から蒸し返したりしないが、
妻と食事しながら思い出すのは、反省や後悔にまつわる記憶ばかりなのである。