アニマルプロレス/エンターテイメント小説 第四章 仲間探し、自分探し | もっとよくなる

アニマルプロレス/エンターテイメント小説 第四章 仲間探し、自分探し

『アニマルプロレス』の連載小説も第四章目に入ったが、今回が最後の更新となる。
今から遡ること6年前、アニマルプロレスを連載していた「EZ web」公式サイトは、
大幅な改編により、アイドル情報主体のサイトに突然変わってしまった。
当然のごとく、私たちが担当していたエンターテイメント系モバイル小説の枠もなくなり、
アニマルプロレスも打ち切りの憂き目をみることになった。
発表の場がなくなっても書き続けようと最初のうちは思っていたが、
ショックを引きずっているうちに創作から遠ざかってしまい、結局続きを書くことはなかった。
最後は残念な結果となってしまったが、フイギュアアーティスト中村キミオ氏の傑出した才能と
出会うことができただけでも私にとっては大きな収穫だった。
「EZ web」サイトでの連載採用が決まったとき、日の暮れないうちから酒場に二人で繰り出し、
シャンパン1本を空けて祝福しあったことを昨日のことのように鮮明に覚えている。





アニマルプロレス
— 人生のラストゴング鳴りやまず —     作者 岡田新吾


第四章 仲間探し、自分探し

 新幹線は定刻通り広島駅に着いた。小さなボストンバック一つを携えて大岩がホームに降り立つと、歩き出す間もなく一人の男が大岩に駆け寄って来た。大岩は男に気づくと、あたりに構うことなく男の名を大声で叫んだ。
「村田! 村田だよな!」
「大岩先輩、久しぶりです」
 村田がポマードで固めた頭をペコリと下げた。
「元気そうじゃないか」
「先輩こそ、変わりませんねえ」
「いやあ、こっちの方はすっかり変わっちまったよ」
 大岩は自分の禿頭をなでまわしながら、顔をくしゃくしゃにして笑った。村田もつられて笑ったが、大岩の禿頭からはわざと視線を外した。大岩の禿頭を見て笑ったのでは、シャレにならない。
「タクシーの運転手やってるんだってな」
 大岩が、華奢な村田の両肩をムンズとつかみ、まるで問いただすように聞いた。村田にはこれが大岩流の挨拶だと昔から分かっているので、体が大きく反るほど乱暴に揺すられても平気だった。
「ええ、転職して15年。もうベテランですよ」
「先輩は? 役場辞めたってホントですか?」
「年賀状に書いた通りよ。次の仕事も見つからないまま早3年。筋金入りの無職だ」
「3年って…そんなに明るくていいんですか?」
「俺から明るさとったら何が残る。わかってるくせに、村田ちゃ~ん」
 大岩はネコ撫で声でそう言うと、ニタついた顔で村田に肘鉄を食らわした。“村田ちゃん”は、大学時代の村田のあだ名である。何の変哲もないあだ名であるが、なぜか村田を呼ぶときは誰もが決まってネコ撫で声でそう呼んだ。村田は根っからの“いじられキャラ”だった。大学時代も暇さえあれば仲間にからかわれたり、いじめられたりしていた。しかし裏を返せば、それだけほかっておけない存在だったともいえる。その証拠に、村田は同学年には好かれ、先輩には可愛がられ、そして後輩には誰より慕われた。
「先輩、みぞおちに入りましたよ‥‥ぐ、ぐるじい…」
「あれ? 村田ちゃん、また大げさなんだからあ~」
 村田は痛さで体をくの字に折り曲げ、額に脂汗を滲ませても、顔は嬉しそうだった。
大岩は学生時代のノリそのままだった。村田には、大岩がたとえ今は無職の身であったとしても、昔の輝きは少しも失われていないと感じられた。
 大岩は、プロレス同好会で常にリーダーシップをとっていた。村田には、そんな大岩の姿が眩しくて仕方なかった。その眩しさは、どんな状況でも明るさを失わない大岩の天真爛漫な性格と、弱い者にはとことん優しい思いやりに根ざしていた。仮入部の時、村田が体力不足が原因で退部せざるを得なくなった時も大岩がその窮地を救ってくれたのだ。専属レフリーの役回りを大岩が作ってくれなければ、村田はプロレス同好会を辞めなければならなかった。それが、大岩の提案で同好会に残れるようになったばかりか、試合の流れを決める重要な演出者として一目置かれるようになったのだ。
 ズラリ並んだタクシーの前で立ち止まった大岩は、弾けるような笑顔で村田に話しかけた。
「どれだ、お前の愛車は? こいつか? こっちか? あっ、このオンボロだろ。車なんてどうでもいいや。それより村田、今夜は広島をしっかり案内しろよ」
「ええ、まかせてくださいよ。だてにタクシーの運転手15年もやってませんから」
「いっとくけど、無職だからって手ぇ抜くなよ。いいとこ連れてくんだぞ。金ならちょっとばかし持ってきたんだからな」
 村田は、大岩の無邪気な虚勢にわざと深い溜息をついてみせた。大岩は、そんな村田のリアクションなどどこ吹く風といった感じで、村田のタクシーに威勢良く乗り込んだ。

赤012

「いいのか、もう12時を過ぎてるぞ」
 大岩は腕時計にチラッと目をやった。
「だ、大丈夫です。今夜は、朝まで飲むつもりですから」
 酔いのまわった村田は、喘ぐような声でそう答えた。
「おれの話はもうひととおり済んだんだぞ」
「わかってます。でも、もっと聞かせてくださいよ。岡島さんに馬……馬、馬なんていいましたか?」
 馬川の名前が思い出せないまま、村田はスナックのカウンターにうつ伏せてしまった。もう店の若い女の子は 先に帰ってしまい、店にはママと大岩と村田の三人しか残っていなかった。
「悪いけど、もう少しこのまま寝かしといてやってもらえますか」
「いいわよ。どうせ3時までは開けとくんだから。もっとも、そんな時間に誰も来やしないけどね」
 この店のママは雇われマダムだろう。商売熱心な感じが少しもしなかった。先ほどまで隣で飲んでいた自営業者風の男のボトルが残りわずかになっても新しいボトルを催促しようともしなかった。もしかしたら本当に鈍いのかもしれない。しかし、この力の抜けた感じが大岩には心地よかった。きれいな女ではなかったが、村田もきっとこんなところが気に入って通い続けているに違いないと思った。
「おたく、村田さんの大学時代の先輩でしょ。名前当ててあげよっか。大岩さん—」
 女がビールのグラスを差し出した。大岩は不意に名前を呼ばれたことに狼狽えてすぐに言葉が出なかった。
「これ、あたしのおごり。気にしないで」
 女が瓶ビールを大岩のグラスに注いだ。
「あ、ありがと。でもなんで俺の名前知ってるの?」
 大岩は、歳の割にはシワの少ない女の白い指先を見つめながら尋ねた。
「ここ数日は大岩さんの話でもちきりなのよ。いくら物覚えの悪いあたしだって覚えちゃうわよ」
「へえ、あいつがねえ」
「ずいぶんお世話になったんだってね。今夜会えること、村田さんったら、ホント楽しみにしてたんだから」
 大岩は隣でいつの間にか小さな寝息を立てはじめた村田を見やった。
「こいつ、いつもこうなんですか」
「ううん、はじめてよ、こんな村田さん見るの。いつも酔わないもの。たしかにこの店にはよく来てくれるわ。でも一時間も飲んだらサッと帰るタイプね。だから酔ったとこなんて見たことないのよ」
「見かけによらず粋な飲み方するじゃないの」
「村田さん、ダンディだもの。くだけた格好なんて見たことないし。ポマードでキメた頭もステキなのよね」
 そう言うと、女は村田のポマード頭に軽くキスをした。その行為があまりに自然だったので、大岩は村田がこの女に好かれていることを確信した。(なかなかやるじゃないか。学生時代まったくモテなかった村田とは大違いだ)。大岩は村田を褒めてやりたい衝動に駆られた。キスは無理だが、村田の頭ぐらいなら撫でてやってもいいなと思った。二杯目のビールを注ぎながら女はなおも大岩に話し続けた。
「きっと大岩さんだから安心したのね。気にしてた大岩さんの話もぜんぶ聞けたから、それでまた余計安心しっちゃったのね」
「気にしてたって、どういうこと?」
 大岩は大きな目を女に向けた。
「博多からわざわざ来るんだもの。きっと大事な話があるに違いないって、あたしにはそう言ってたわ」
「大事な話ねえ・・・」
 大岩は俯き加減にビールを一口飲んだ。
「ねえ、怒らない?」
 女が大岩の顔をのぞき込むようにして聞いた。
「俺がなんで怒るんだよ」
「悪いけど、その大事な話、さっきぜんぶ聞いちゃったわ。いけないと思ったけど、あたしだってやっぱり気になるじゃない」
「あっそう。聞いてたんだ。でもママならいいよ。村田がこの店を選んだのも、案外ママに聞いててもらいたかったのかもしれないしな」
 女の心配をよそに、大岩はあっけらんとしていた。大岩の言葉に女の心が緩んだ。
「おもしろそうじゃないの。そのプロレス団体」
「冗談みたいな話だろ」
「夢があっていいわ。あたし、男だったら入れてもらうかも」
 女が少し欠けた前歯を見せて笑った。
「いい歳した大人がみんな本気なんだ」
「いいじゃない。あたしは応援するわ」
「だけど、村田の返事はまだもらってないからなあ」
「参加するに決まってるじゃない! だって村田さん、大岩さんの話は絶対断らないって言ってたもの。でも、これ内緒にしてね。あたし、出しゃばりな女だと思われたくないから」
 大岩が今夜この店で初めて見る女の恥じらいだった。女の頬がほんのり赤くなった。やっぱりこの女は村田に気があるようだ。そんなことより、大岩には急にしおらしくなった女の態度がおかしくて仕方なかった。

緑005

 その頃、馬川は山形県酒田市にいた。銀行員だった頃の同僚の稲田に会うためにやってきたのだ。
 二人が待ち合わせをした喫茶店は、地方都市にありがちな何の変哲もない店だった。ビニールシートのかけられたテーブルには、今ではとんと見られなくなった100円を入れると占いが出てくる手動式の置物があった。時代遅れのインテリアなのか、中高年の客層が醸し出す空気なのか、店は昭和の臭いが色濃く漂っていた。マスターの他にはエプロンを付けた中年女性が一人。マスターの命令調の言葉づかいから察するとたぶん奥さんなのだろう。悠然とコーヒーを煎れるマスターとは対照的に、コマネズミのように忙しなかった。
 稲田はポロシャツにジーンズというラフないでたち。稲田のスーツ姿しか見たことのない馬川の目には新鮮に映った。もっとも、馬川のチノパンに半袖姿というのも、稲田には初めてだった。銀行員時代、制服ともいえる縦縞の入った紺のスーツ姿でキメていたが二人が、休日でもないのにカジュアルな格好で対峙している様は、お互い異星人を見る思いだった。
「それにしてもついてないなあ」
「なんのために田舎に帰ったのかわかりません」
「地元資本のなかなか由緒あるホテルだったよな」
「このあたりでは老舗です。私もようやくホテルマンの仕事に慣れてきたところだったのに」
「選択は間違ってなかったと思うよ。だけどこれっばっかりは運だからなあ」
「まさか倒産するなんて、思いもよりませんでしたよ」
「それでどうするんだ」
「いまさら銀行に戻れませんし……。いいですね馬川さんは—。マネーに携わった仕事ができて—」
「俺だって、もう業界の人間じゃないさ」
「いえいえ、株投資で生活できるなんて、私には羨ましい限りです」
「たまたまツイてるだけだよ。来年はどうなってるか分からん」
「私には、明日も分かりません、もう家族も空中分解寸前ですよ。女房なんか私と口を聞こうともしない」
 馬川は言葉を失った。銀行員時代の溌剌とした稲田の姿はそこにはなかった。変わってしまった稲田を茫然と見つめるしかなかった。しばらくの沈黙。
「手紙、読ませてもらいました」
 気まずい空気を読んで稲田から口を開いた。
「驚いただろう。この歳でプロレスなんて|」
「馬川さん、プロレス好きでしたからねえ」
「よく言うよ。稲田もじゃないか」
 すかさず馬川に切り返されて、稲田は照れ隠しのつくり笑いをした。
「二人でよく観に行きましたねえ」
 稲田の頭には馬川と通った後楽園ホールの情景が浮かんだ。
「いつも一緒だからホモのうわさまでたったんだぞ」
「知ってましたよ。女っ気なかったですからね私たち」
「うるさい! 俺は女にはうるさいんだ。お前と一緒にするな!」
 馬川が椅子から腰を浮かせていきりたったが、バツの悪さを隠すための演技であることは一目瞭然だった。
 稲田は構わず話を続けた。
「人嫌いな馬川さんが、私を誘うのが不思議でならなっかたんですよ」
「稲田は信じられると思ったんだ。プロレスを愛する人間に悪い奴はいないからな」
「そのセリフ、シビれるなあ」
「俺の座右の銘だ」
「でも、悪い奴じゃないから、私たちはリストラされた|」
「おいおい、なに言いだすんだ」
「でもあたってるでしょ。私たち正直者すぎてバカみましたよ」
「やけに自虐的だね。稲田らしくないぞ」
「派閥が嫌で、おべっかも嫌で、上にはいつも反抗的」
「考えてみりゃ、クビになって当然かもな」
 馬川の言葉に稲田は口元を緩めて小さく笑った。複雑な感情の入り混じった笑いは馬川にも伝染した。
「私はもう覚悟決めてます。東京に行きますよ」
「東京じゃないんだ。拠点は愛知の小牧市だ」
「そうでしたね。知らない土地ですけど、どこでも行きますよ」
「一人で決めていいのか?」
「相談相手なんていませんよ。もう家内とは離婚の手続きに入ってます」
「子供は?」
「親権を争っても無駄ですよ」
「そうだな……。勝てるわけないか……」
「同居している親がまたうるさくてね」
「親父さんか? たしか小学校の校長先生だったよな」
「もうとっくに定年を迎えましたがね。もう毎日馬鹿呼ばわりされてますよ。一流大学出してやったのにこのざまは何だって」
「それだけ息子に対する期待が大きいんだよ」
「期待じゃないです。親父が気にするのは体裁だけですよ。プライドの塊のような人間ですからね」
「プライドねえ……」
「昔の役職を書き連ねた名刺を持ち歩いて今だに配ってるんですから」
「おいおい、それは強烈だな」
 馬川は身を乗り出して驚いた。
「親父さんにとっては、肩書きがずっと心の拠り所になってるんだな」
「私も親父が自慢だった時期がありましたよ。親父みたいになりたいと作文に書いたりしてましたから」
「いいことじゃないか。今どき父親を尊敬できる子供がどれだけいる」
「いい大学入って、いい会社入って偉くなる。大人になっても親父の価値観のまま生きてきましたよ」
「それは自分で選んだ道じゃないのか。親父さんは関係ないと思うけどな」
 馬川は会ったこともない稲田の父親を無意識に庇っていた。
 馬川の父親は実の父親ではない。馬川が小学生のとき、母親と離婚した父親は黙って家を出た。それからは数えるほどしか会っていない。しかし、馬川は子煩悩だった父親が大好きで、片時も忘れたことはない。別れた父親のことを口にしないのは、苦労して自分を育ててくれた母親への思いやりからだった。会ったこともない稲田の父親であったが、馬川には孤独な老人の背中が目に浮かび、それが自分の父親の姿と重なっていたたまれない気持ちになった。
「私やります。父親の呪縛から逃れる絶好の機会です」
 ぼんやり視線を宙に漂わせていた馬川が、稲田の力のこもった言葉で我に返った。稲田はまっすぐ馬川の目を見つめている。何も言わなくても、並々ならぬ決意が伝わってきた。稲田の即答に、いつもは仏頂面の馬川も口元が緩んだ。しかし、嬉しさも束の間。得体の知れない不安もわき上がってきた。(もう引き返せないな)。馬川は心の中でそう呟いた。誘った男の人生を預かるような気持ちにさえなった。

白001