アニマルプロレス/エンターテイメント小説 第三章 プロレス新団体設立 | もっとよくなる

アニマルプロレス/エンターテイメント小説 第三章 プロレス新団体設立





アニマルプロレス
— 人生のラストゴング鳴りやまず —     作者 岡田新吾


第三章 プロレス新団体設立

 すっかりきれいになった物置を前に岡島と大岩と馬川の三人が立っていた。
「これが物置だったなんてウソのようですね」
 大岩が大きな目を見開いて言った。
「しかもリングまであるとは………」
 信じられないといった素振りで馬川が小さく首を振った。
「それらしくなったでしょ」
 岡島が得意げに二人に話しかけた。声が弾んでいる。
「でもね、岡島さん、いくらかかりました? コレ作るのに—」
 馬川が岡島の目を見据えて尋ねた。
「いえいえ、大したことないですよ。もともとあった建物ですから」
 岡島が謙遜しながら答えた。
「いや、相当かかってますよ。ペンキも塗り替えたんでしょ?」
 大岩もかかった費用が気になるようだ。
「いいじゃないですか。お金の話はよしましょうよ」
 岡島は照れ笑いを浮かべている。本心は何を言われても嬉しいのだ。
「だめです!」
 突然大きな声をあげたのは馬川だった。彼の発した声が和んでいた空気を一変させた。
「馬川さん、びっくりさせないでくださいよ」
 大岩が馬川の声に驚いて後ずさりした。
「失礼しました。しかし費用を個人で負担するのはやめましょう。いつか無理がきます。設立メンバーが資金を出すのは当然のことですが、貸付という形にしておきましょう。やはり、会社組織にしておいた方がいいですね」
「こんな道楽だったら安いものだと思ったんですけどね」
 すかさず岡島が馬川に切り返した。
「私は道楽なんて思ってませんよ。そもそも遊びなら参加しません」
「まあまあ、馬川さん、そんなムキにならなくても」
 大岩が困った顔で額の汗を手で拭った。
「何事も最初が肝心ですから。遊びと思えば遊びで終わってしまいますよ」
「でもねえ、会社組織と言われてもねえ……。そんなもの必要ですかねえ」
 大岩が不服そうな顔をした。
「お金の切れ目が縁の切れ目なんてことにはしたくないですからね」
「ヒャアッー、馬川さん、とことんシビアだねえ」
「大岩さん、ここは馬川さんを信じましょうよ。冷静に考えればそのとおりですよ。ちょっと私、勇み足だったかなあ」
「とんでもない! 私は岡島さんを尊敬しますよ。よく一人でここまでやられましたね」
「私だって凄いと思ってますよ。凄いと思うからこそ、失敗したくないんです」
「失敗だなんて、縁起でもないなあ」
 大岩が少し声を荒げた。大岩にはときどき馬川の物言いが気に障り、不機嫌になることがある。そんなときのなだめ役はもっぱら岡島の担当だ。
「まあまあ、せっかく三人が集まったんです。ビール飲みましょうよ。あれっ、もうぬるくなっちゃったかな」
 岡島はあらかじめ用意していた缶ビールを二人に手渡した。
「よかったですよ。練習場が間に合って—。なにしろ突貫工事でしたから」
「小牧に来た甲斐があったなあ」
「大岩さん、見物気分は困りますよ。ここが拠点になるんですから。活動が始まったら博多にはそうそう帰れませんからね」
「そうだった。故郷に錦を飾るまでは帰れませんね」
 大岩は大笑いしながら夕日が反射して眩しい禿頭をピシャリと叩いた。岡島もつられて笑った。大岩の機嫌がなおったところで馬川が岡島を促した。
「岡島さん、プロレス団体設立の宣言をお願いしますよ」
「宣言なんて……、まだ名前も決めてないですよ」
「そんなのあとあと。祝杯が先ですよ。さあ、乾杯しましょう!」
 アルコールを目の前にすると大岩は途端に元気になる。この日、乾杯の音頭をとったのも大岩だった。(この男となら、何か問題が生じても一晩飲み明かせば大抵のことは解決しそうだ)。岡島はそう思うと少し気が楽になった。

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 練習場の中では、他の何よりもリングが存在感を誇っていた。馬川が真っ先にリングに上がり、何度もジャンプしてはマットの感触を楽しんだ。そうかと思えば受け身が始まった。馬川の大きな体がマットに叩きつけられる度、バタン!バタン!と、もの凄い音が室内に響き渡った。
「馬川さん、嬉しそうですね」
 リングの上には、大岩が初めて見る無邪気な馬川がいた。
「受け身なんか本格的ですよ。身のこなしも軽いし—」
 大きな体からは想像もできないぐらい馬川は俊敏な動きをする。岡島は感心して見とれている。
「でもよく飽きませんね。さっきから跳ねどおしですよ」
「いいじゃないですか。私もリングが設置された日は朝から晩まで跳ねてましたよ」
「子供じゃあるまいし」
「子供なんですよ。私なんか、人がいなけりゃベッドでもソファーでも跳ねますよ」
「またまた冗談を—」
 大岩が呆れてため息をついた。
「ホントですよ。マット見たら体が反応します。パブロフの犬です」
「岡島さん、私をからかってませんか!」
「恐いなあ大岩さん。私正直に言っただけなのに—」
 大岩は二度三度首を大きく横に振ってお手上げのポーズをした。岡島は、大岩のその大げさな仕草がおかしくて必死に笑いをこらえている。
 やがて、ひとしきりリングの感触を堪能した馬川が戻ってきた。Tシャツが汗でびっしょり濡れている。
「大岩さん、次どうですか。リングの上は格別ですよ」
「わたし、今日はジャージ持ってませんし」
「もったいないなあ。このリングよくできてますよ」
 馬川の視線はずっとリングに注がれたままだ。
「そんなに気に入ってもらえましたか」
 馬川の言葉に岡島が敏感に反応した。嬉しさで声が弾んでいる。
「ええ、素晴らしい。でもね、気になることがあります」
 急に馬川の目が真剣になった。
「試合用のリングは自分たちで組み立てないといけませんね」
「自分たちで!?」
「ええそうです。興行で地方を回ることになると思いますけど、リング屋を頼む余裕はありませんからね」
「なんですか? リング屋って」
 岡島がポカンと口を開けたまま馬川を見つめている。
「リング屋って、リング設置のプロですよ。プロレスの試合があるところ、資材や用具を積んだトラックを飛ばしてどこへでも行きます。選手が会場に着く頃までにはリングも組み建ててくれます」
「へえ、それは便利ですね」
「確かに便利です。でもボランティアじゃないですからね。あくまでビジネスです」
「あっそうですか。やっぱりお金がかかるんですね」
 岡島の声が急に弱々しくなった。
「だから自分たちで設営しないといけませんね。そのためには人数が必要です。これからもっとメンバーを増やしましょう」
「大丈夫ですよ。私あてがありますから! 学生時代にね、プロレス同好会やってたんですよ。そのとき一緒だった奴が興味持ってましてね。一度話を聞きたいって」
 それまで黙って聞いていた大岩が急に大きな声をあげて胸を張った。
「リングだって自分たちで組んでましたよ。我流でしたけど、まだ体が覚えてます」
「それは心強い!」
 馬川が叫んだ。先ほどまで曇っていた岡島の顔がみるみる明るくなった。
「私たちはみんな選手兼雑用ですね」
「もちろん、最初から私はその気でしたよ。事務も雑用もみんな自分たちがやるんです」
 馬川のことばに大岩が深く頷いた。
「裏方の仕事も勉強しないといけませんね。いろいろ教えてください」
 いちばん年長の岡島が二人にペコリと頭を下げた。大岩と馬川は笑顔で応えながら、岡島の肩を抱きかかえるようにして何度も叩いた。

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 岡島にはもう一つ、二人に見せたいものがあった。選手やスタッフが寝泊まりする宿舎だ。外せない用事があった馬川はその夜東京に戻ってしまったが、大岩は岡島に誘われて泊まるこことなった。
「こんなものまであるとは恐れ入りました」
「一部屋だけの離れですよ。昔、倅のために作った勉強部屋です。どうせ今は誰も使ってませんから」
「十分です。でもよく家族の同意が得られましたね」
「賛成なんてしてませんよ。さっきすれ違った息子の態度を見れば分かりますよね。ホント礼儀知らずですみません」
 岡島は、先ほど大岩と馬川にろくに挨拶もしないで通り過ぎた息子の非礼を詫びた。
「あんまり急な話だから、ご家族の皆さんも戸惑っておられるんですよ」
「とまどうなんて上等な感情がうちの家族にあるもんですか。いいか悪いか、好きか嫌いか、それだけです」
「う~ん、……ということは、私たちは味方か敵かってことですね。もちろん敵だ!」
 まいったなあという仕草で大岩が自分の禿頭を叩いた。
「そうです。はっきり言って敵です」
「そんなことで続けられるのかなあ」
「大丈夫ですよ。今回ばかりは自分のわがまま通しますから。遠慮なんかするもんですか」
「まあ、まあ、穏便にいきましょうよ。家族の理解があってこそです」
「アドバイス、ありがたく頂戴します。でも理解なんて無理だろうなあ……。ところで、大岩さん、寝る前に一杯やりましょうか」
 岡島はそう言うやいなや流し台に移動し、時代がかった卓袱台を抱えて持ってきた。もうすっかり塗装は剥げ落ちて、ところどころ色が斑になっている。脚もどこか不安定だ。
「よくこんなものとってありますね」
「ここらへんの人間は“しまつ”がよくてね。あっ、“しまつ”って分かりますか。名古屋弁で節約という意味です。よその人から見たらただのケチに映るんだろうけど」
「タモリもさんざん悪口言ってたからなあ。同郷の身として申し訳ない」
「大岩さんが謝ることないですよ。普段はしまつでも、何かあるとドーンと使うのが尾張の人間の特徴です。今回の私がいい例だ」
 豪快に笑いながら岡島は大岩に焼酎を注いだ。物置を練習場にリフォームしたり、リングを造ったことがよほど岡島には痛快だったようだ。

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「肩身狭いなあ。私はあまり資金提供できそうもないし……」
「そんなつもりで言ったんじゃないですよ。今回のことは明らかに私の勇み足です。でもすっきりしましたよ。初めて自分の好きなことにお金使いましたから」
「そんなに自分を犠牲にしてきたんですか?」
「いやね、昔はそんな風に思いませんでしたよ。家族が喜ぶなら大抵のことは我慢できましたから。この卓袱台が現役の頃はよかったなあ。貧乏だけど毎日が楽しくてね。この卓袱台に一家6人が集まってね。ご飯食べるのも、テレビ見るのも一緒。いつも笑ってた気がするなあ。何がおかしかったのか今となってはちっとも思い出せませんけど」
「私は羨ましいですよ」
 ポツリと大岩が言った。
「私、若くして女房を亡くしましてね。それからずっと一人身です。母親がまだ元気だから、日常生活には何も困りませんけど、生きてる実感がないんです。張り合いっていうのかなあ、女房がいなくなって、つっかえ棒を急に取り外された感じですよ。私なんか自分一人では何もできないことを思い知らされました。偉そうにしてましたけど、本当は女房に支えられていたんですね」
「そうでしたか……」
「たとえ家族がうまくいっていなくても、怒りや不満を感じられるだけでも羨ましい。私には喜怒哀楽をぶつける家族がいないんですから……」
 大岩の声が震えて目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
「大岩さん……」
「お恥ずかしい。歳とるとどうも涙もろくなって困ります」
「大岩さん、もう一人じゃありませんよ! 私たちは家族です。今はまだ三人ですけど、仲間を集めて大家族を作りましょうよ。同じ釜のめし食べて、風呂入って、練習で汗流して、ときには派手なケンカもしましょうよ。どうです、家族みたいなもんでしょ」
「岡島さん、ありがとう。私は本当の家族だと思ってぶつかっていきますよ。」
 大岩はこぼれる涙を拭きもせず焼酎のロックを一気にあおった。