詩人、石垣りんの「シジミ」 | もっとよくなる

詩人、石垣りんの「シジミ」

 
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上の娘が遠足で行った潮干狩りの成果。

愛知県知多半島の海でとれたアサリである。

会社に出勤する前に、砂抜きのために用意されたボールを見つけて、そのことを知った。

「貝が動くのがおもしろいのよねえ」なんて言いながら、
妻はずっと水の張られたボールの中でうごめくアサリを見ていた。

妻のその姿を見て、私は詩人、石垣りんの詩を思い出した。

食べられてしまう貝に思いを寄せる現代詩である。

飽きもせずアサリを見つめる妻の心境は推測しかねるが、
石垣りんの詩に共感を感じるかもしれないと思って、詩人の名を教えて家を出た。

玄関先で私を見送りながら「ネットで調べてみるわ」と妻が言った。

電車に乗り込んだところで、妻からのメールが届く。

普段は事務連絡しかよこさない妻がわざわざメールを送ってくるなんて、

よほど石垣りんの詩に感動したに違いない。

どんな感想が聞けるのかとワクワクしながらメールを開く。

しかし、私が目にしたのは、たった一行のコメントだった。

石垣りんの詩に出てくる貝、アサリじゃなくてシジミよ。

あのねえ、キミ、それはないんじゃないの。

確かに私は、シジミをアサリと間違えた。

しかし、即座に私に書いてよこすメッセージがコレですか。

間違いを指摘するより、どう感じたかを伝える方が先じゃないの。

まあ、妻らしいといえば、妻らしいが・・・・・・。

はい、私が悪うございました。

悔しいので、帰宅後、中学生のときに買った日本の詩歌/現代詩集(中央公庫)を

書庫の奥の方から引っ張り出して、自分の目で確認する。

やっぱり、シジミだった。


「シジミ」 石垣りん

夜中に目をさました。
ゆうべ買つたシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。

「夜が明けたら
ドレモコレモ
ミンナクツテヤル」

鬼ババの笑いを
私は笑つた。
それから先は
うつすら口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかつた。



この詩集を買ったのが13歳のときだから、私は30年以上もシジミをアサリと勘違いしていたのだ。

この詩集をひさしぶりに開いたことで、さらにもう1つ恥ずかしい勘違いをしていたことに気づいた。

宇宙飛行士ガガーリンの言葉が印象的な「熱帯魚」という詩があるが、

これも石垣りんの作品だと思い込んでいた。

いつの間にか私の記憶の中で、「シジミ」と「熱帯魚」が、石垣りんの連作として刻み込まれてしまったようだ。

同じ水の生き物だし、なんか似てるでしょ。

言い訳がましいなあ(笑)。

違います。

「熱帯魚」は、高田敏子の作品です。

このミスは、妻に黙っておくことにした。

何を話しても、知ったかぶりだと、妻にバカにされそうだから。


「熱帯魚」 高田敏子
 
熱帯魚のまえで
立ちどまったふたりは
ふと 思いだした
「地球は青い」
あのガガーリン氏のことばを

青い水に泳ぐ
さまざまな魚の姿は
青い地球の
さまざまな人生

いま 青い地球の
青いひかりのなかで
二匹の魚は口をよせ
若いふたりは肩をよせ



最後に余談を1つ。

石垣りんにも宇宙飛行士ガガーリンの言葉に触れた作品があることを知った。

石垣りんと高田敏子は同世代の詩人でもあったのだ。

当時、ガガーリンの言葉は、よほど人々の心を打ったに違いない。