猫の後ろ姿 2285 「啓民文化指導所」 | 「猫の後ろ姿」

猫の後ろ姿 2285 「啓民文化指導所」

 

 2010年8月4日の当ブログ316回で、僕は大東亜戦争下のインドネシアにおける「啓民文化指導所」に関して書いた。一部再録したい。

 2008年3月15日、福岡市の福岡アジア美術館で、アミヌディン・シレガー氏(インドネシア・バンドン工科大学美術館館長)の講演があった。テーマは、「プロパガンダのための美術:インドネシア美術における日本の影響」(Some Propaganda for Propaganda: lndonesian Art in Japanese occupation)。

 1942~45年、日本はインドネシアを軍事占領したが、この占領下の1943年、インドネシアのジャワ島に「啓民文化指導所」という文化センターが設立された。この啓民文化指導所は、日本軍宣伝部の下部組織で、文学、演劇、映画、美術などの分野で日本人が宣伝・宣撫活動を展開した。
 
 美術分野においては、美術教室の開設、展覧会の開催、授賞制度の設立など、若手インドネシア芸術家の育成がもくろまれた。それは、もちろん、「大東亜戦争勝利」「大東亜共栄圏建設」の大義をインドネシアの人々に美術を通じて宣撫しようという日本の思惑がその背景にはあった。したがって全く自由な制作が許されたわけではなく、貧困を描いた作品などは、検閲で発表不可能となった例もある。

 しかしこのような日本の軍事支配をも逆手にとってインドネシア社会の近代化にむけて利用しようと考えた人々もいた。
 この「啓民文化指導所」の果たした役割については、日本軍の公的な目的と、これをしたたかに利用しようというインドネシアの人々の隠された目的との、角逐の中に丁寧にとらえて行く必要がある。

 この論文を訳して適切な学術誌に発表したいと僕は考えた。

 2014年7月、氏の許諾を得て、「プロパガンダのためのプロパガンダ-日本軍政下のインドネシアの芸術」と題して、『植民地文化研究』第13号に発表できた。
 時折、「啓民文化指導所」の情報を求めて小生のブログを読んでくださる方がおられる。その方々にここに掲載されていますとお伝えしたい。