猫の後ろ姿 2225 伊良湖 「椰子の実」
伊良湖に行ってきた。島崎藤村の詞による「椰子の実」で知られるこの地を一度は踏んでみたいと思っていた。
高台にある宿の窓から伊良湖の海辺を眺めて、「椰子の実」を心の中で歌った。
名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて
汝(なれ)はそも波に幾月(いくつき)
旧(もと)の樹は生(お)ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる
われもまた渚を枕
孤身(ひとりみ)の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば
新(あらた)なり流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の陽の沈むを見れば
激(たぎ)り落つ異郷の涙
思ひやる八重(やえ)の潮々(しおじお)
いづれの日にか国に帰らん
この「椰子の実」のモチーフは島崎藤村が柳田国男からゆずってもらった。柳田がこう書いている。
<三河に行つて、渥美半島の突(と)つ端(ぱし)の伊良湖崎に一ヶ月静養してゐたことがある。海岸を散歩すると、椰子の実が流れて来るのを見附けることがある。暴風のあつた翌朝など殊にそれが多い。>
<椰子の流れて来るのは実に嬉しかつた。 一つは壊れて流れて来たが、 一つの方はそのまま完全な姿で流れついて来た。東京へ帰つてから、そのころ島崎藤村が近所に住んでたものだから、帰つてくるなり直ぐ私はその話をした。そしたら「君、その話を僕に呉れ給へよ、誰にも云はずに呉れ給へ」といふことになつた。>
(柳田国男「藤村の詩『椰子の実』」)
この歌は1936(昭和11)年に国民歌謡となり、今もなお我々の心を静かにゆさぶる。故郷を離れ、都会に働き場所を求めた多くの人は、いつの日にか国に帰ることを思いながら、現実には都会の片隅に生を終えた。かなわぬ帰郷への切実な願いがこの歌のなかに今もなお生きている。
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