猫の後ろ姿 2223 浦の苫屋の秋の夕暮れ | 「猫の後ろ姿」

猫の後ろ姿 2223 浦の苫屋の秋の夕暮れ

 画家・榎並和春さんのブログ「あそびべのHARU・ここだけの日々」を毎日、拝見している。11月6日の「晩秋の午後」と題された回の写真には見入ってしまった。静かな晩秋の光と時間がそこに写り込んでいた。勝手に5点全部、コピーしました。榎並さん、ご容赦ください。

 見入っているうちにひとつの和歌を思い浮かべた。
 
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ
 
 藤原定家のよく知られた一首ですが、「花も紅葉も」と、言葉にするといったんは頭の中に、春の「花」・秋の「紅葉」が姿を現すけれど、すぐにそのイメージは「なかりけり」と否定される。眼の前にあるのは「秋の夕暮れ」の海辺の簡素な「苫屋」。
 存在と不在が同時に心の内に感じ取られる。言葉は存在と不在を同時に現出させる。絵画も音楽も、現にそこに現われているものは、そこには無い別の何ものかを指し示す。常に世界は二重の姿で現れる。
 芸術は、そこにひとつの形を成し、同時に別の形を暗示する。

こうして芸術はこの世界が多義的で、豊饒なものであることを示唆する。