皆さんは,自分のことを「融通の利く人間」だと思いますか?

 「融通が利く」の辞書的な意味は,状況に応じて柔軟な対応ができるという意味です。
 もともとは金融用語ですが,今では人の性格を表すときやビジネスの場面で使われることがほとんどです。

 ちなみに,私は融通が利く人間だとは思いません。
 よく言えばマニュアルに忠実,悪く言えば杓子定規な人間です。
 ある事象に対して,多角的に物事を見ることができず,失敗することが多いです。
 もともと「すべての人間が平等であるべき」という考えを持っているため,わざと融通を利かせないこともあります。

 しかし,多くの人は「実際には人間は平等ではない」ということを受け入れているため,何をするにしても,アプローチのしかたや強度を変えています。
 水のように柔軟に形を変えながら,最適解を見つけて生きているわけです。

 私のやり方は,無形であるはずの水をむりやり形成しようとするのですから,当然のように,周りと衝突が起こります。
 それではいけないと思い,自分なりに頑張って融通を利かせようとすることもありますが,融通の利かせ方を間違えて事態が悪化することも少なくありません。

 融通が利かせられない,あるいは利かせない理由について,私は使い分ける労力を使いたくないからだと自己分析しています。
 1つのルールが決まっているならば,それを徹底した方が楽なのです。
 このように楽をしたがる悪癖が,悪い事態を招いていると言えます。

 最近知ったのですが,1つのルールをすべての事柄に例外なく当てはめようとする考え方のことを過剰般化というそうです。

 この過剰般化については,人間関係だけでなく,言語習得の場でも影響してきます。
 たとえば日本人が英語を学ぶとき,単語と文法を忠実に再現して英訳しても,それが不自然な英語になってしまうことがあります。
 なぜなら,そこには言語の慣例(コロケーションと呼ばれるもの)が存在するからです。
 コロケーションを無視して日本語を英語に直しても,間違いではないが不自然な英語というものができてしまいます。
 私は仕事で言語を扱う機会が多いのですが,過剰般化の傾向が強い性格が災いして,不自然な英文を作ってしまうことがときどきあります。

 融通が利く人間。これを悪く捉えると,ルールを二の次にしたいい加減な人間という解釈ができます。しかし,生きていくうえで必要となる要素が融通を利かせることであれば,私も意地を張っていないで,考え方を軟化させていくべきだと,最近思い始めました。
 できる範囲で意識していこうと思います。