第一章 事件編①

 

 市街からはるかに離れた場所にポツンと立つ一軒家。立派な構えだが、建物はかなり古い。この家に住む初老男性は、鴨木理。これまで数多くのヒット曲を手掛けた著名作詞家だ。この日も、鴨木は執筆に取り組んでいる。部屋の雰囲気や鴨木の風貌からして、いかにも原稿用紙と万年筆による執筆が似合うが、さすがに手書きではなく、パソコンを使っている。鴨木は長い時間、ずっとパソコンのディスプレイとにらめっこしている。ただ、開かれた文書ファイルには、何も入力されていない。文字の代わりに、灰皿の吸殻だけが増えていく。

 

 部屋のドアをノックする音が聞こえた。やってきたのは、鴨木宅に住み込みで勤めている、マネージャー兼編集者の藤本光流だった。

「先生、少しよろしいですか。」

「ああ。」

書斎に通された藤本は鴨木の向かいに座るなり、いきなり本題を切り出した。

「次の原稿が遅れていまして、今週中には書き上げていただく必要があるのですが、間に合いそうですか?」

 藤本の言うとおり、ここ近年は、鴨木の筆の進みが遅くなっている。時代の変化に合った良い言葉がなかなか浮かばないのだ。

「こんなことを申し上げてはアレですが、最近は若い新鋭の作詞家たちがどんどん台頭してきています。先生にはもう少し執筆のペースを上げていただきたいと思うのです。」

 鴨木は無言のまま、おもむろに煙草に火をつけた。

藤本は、ノートパソコンを開き、鴨木に見せた。

「これ見てください。これは、無名の作詞家たちが集うサイトです。」

 鴨木は、差し出されたノートパソコンを見た。たしかに、聞いたことがない作詞家の名前がずらりと並んでいる。

 「このサイトは完全招待制でして、一般の人は見ることができません。私も、とある業界の方の紹介で、今日やっと登録させてもらえたのです。投稿している作詞家たちは、今は無名のノンプロですが、名を上げてプロとして活躍するようになった人も何人かいます。投稿を見ていると、たしかに若い感性を活かした良い詩がたくさん挙がっているんですよ。この中の作詞家を、うちのプロダクションでデビューさせようという案も出ています。」

 このとき、鴨木の頭の中から、とてつもなく強い感情が湧いてきた。そう。「このサイトを見てヒントを得たい」という欲求だ。執筆に行き詰まっている現状を打破するために、自分に今いちばん必要なものはこれだ。さもなくば、若い新鋭たちに立場を脅かされてしまう。しばしの沈黙のあと、鴨木は意を決したように立ち上がった。

 「ちょっとコーヒーいれてくる。」

 そう言って、鴨木は台所に向かい、コーヒーを二ついれた。一つは自分のもの、そしてもう一つは藤本に飲ませるもの。そのうちの一つに、鴨木は煙草の吸殻を大量に浸からせた。しばらくして吸殻をすべて取り出してからカルダモンとコンデンスミルクを入れ、二つのコーヒーを居間に持っていった。

 「君も飲みたまえ。」

 「あ、これは先生、恐れ入ります。」

 二人はコーヒーをすすった。

「これは変わった味ですね。」

「ベトナムから取り寄せた豆を使っているんだ。」

 コーヒーを飲み終え、鴨木は今度はトイレに立った。

トイレから戻ると、書斎には横たわった藤本の姿があった。コーヒーに入れた吸殻によって、ニコチン中毒を引き起こすという鴨木の作戦は、成功した。

 鴨木は、遺体とコーヒーが入っていたマグカップを藤本の部屋に運んだ。次に、そのノートパソコンで遺書を偽造し、それを藤本の部屋のプリンターで出力した。そして、藤本の遺体発見者を装って、警察に通報した。

「よし。これで完璧だ。」

 鴨木はそうつぶやいて、安堵した表情を浮かべた。

 警察を待つ間、藤本のノートパソコンから投稿サイトを開き、よさげな詩を書き留めた。

 

 数十分後、鴨木の家のインターホンが鳴った。二人の刑事がやってきたのだ。一人は五十歳くらいのスマートなたたずまいで、もう一人は三十半ばの冴えないサラリーマン風。

「朝早くに恐れ入ります。私、警視庁の鳥巣と申します。」

 五十歳くらいの男は、そう言って警察手帳を示した。

「河村です。」

 もう一人のうだつの上がらない男も、同様に手帳を見せてきた。

「お待ちしていました。」

 鴨木はそう言うと、鳥巣たちを家の中に通した。