「真夏の訪問者」
第二章 少年と壮年
公一郎は耳を疑った。目の前に立っている見知らぬ少年が、自分の家に泊まりたいと言っている。頭と心の整理もつかぬまま、少年に尋ねた。
「この家って、俺ん家? なんで俺の家に?」
「はい。お願いします。」
「いや、『お願いします。』って言われても、俺は君が何者なのかも知らないんだよね。それに、未成年を家に泊めるには、ちゃんとした理由が必要なんだよ。あっ、君は未成年だよね。」
「はい。十二歳、中一です。」
少年は多くを語らずとも、妙にハキハキしていて礼儀正しい。公一郎は今この瞬間に起きている出来事を反芻しながら、状況を整理していった。
「……わかった。理由によっては問答無用で追い返すことはしない。だから、今からする質問に答えてほしい。まず、君の名前は?」
「星野圭太です。」
「圭太くんね。家はどこ?」
「青宮町です。」
「青宮町って言ったら、ここからずいぶん遠いね。電車で来たの?」
「はい。」
「お家の人は?」
「ずっと留守です。」
「留守? じゃあ、君は一人で暮らしているの?」
「はい。」
「へぇー。中学生でそれは大変だね。じゃあ、最後の質問。なんでこの家に?」
「……」
圭太は最後の質問には答えなかった。
「えっと、どこかで会ったかな? 親戚の子とか?」
「……」
「俺の名前、知っている?」
「日村公一郎……さんです。」
公一郎は身震いがした。たった今、初めて名前を知った少年が、自分の名前をフルネームで知っている。ポストにもフルネームは書いていない。いったいこの子は何者なのだ。公一郎は、できるだけ平静を装って続けた。
「……よく知っているね。それで、親戚でもない未成年を泊めるわけだから、お父さんかお母さんに一言ことわってほしいんだけど、いいかな。」
「……」
少年はまたしても黙りこくった。
「あのね、さすがにそれをしないと、泊めるわけにはいかないんだよ。それとも、警察に話してもいいかい?」
「あぁ……」
少年はあからさまに動揺した。今にも泣き出しそうな顔だ。いきなり「警察」なんていう言葉を出すべきではなかった。
「ごめんごめん。驚かしちゃったね。別に、圭太くんが悪い子だって決めつけているわけじゃないんだよ。」
急いでフォローしたが、少年の顔から焦燥した様子は消えない。何かにおびえているようにすら見える。
「うーん、困ったなぁ。」
焦っているのは公一郎も同じだ。誰のことわりもなく知らない少年を家に泊めたとなると、犯罪行為と疑われても仕方がない。しかし、圭太の焦燥した様子を目の当たりにして、このまま追い返すこともできない。
「……じゃあ、一日だけだよ。」
少年は顔を一転させて、ニコッと笑った。焦燥感は一瞬にして消えた。
公一郎の家は二階建ての一軒家だが、家族を失ってからは持て余していた。使っていない部屋がほとんどなので、一人や二人を泊めることに対して、物理的な不都合は何もない。とはいえ、素性がわからない人間を泊めるわけだから、家の中で好き勝手してもらっても困る。空き巣の受け子の線だって、消えたわけではない。だから、圭太には二階にある公一郎の部屋でいっしょに寝泊まりしてもらうことにした。他の部屋は物が散らかっていて使えないことにして。
公一郎は、トイレ、洗面所といった生活に必要最低限な場所だけ伝え、部屋に戻ろうとした。すると圭太が、
「あれって仏壇ですか?」
と聞いてきた。いつもドアを開け放してある和室が気になったようだ。
「そう。ちょっと前に死んだ母とか、じいさんばあさんが眠っている。」
「へぇー。」
そう言いながら、圭太は公一郎の母の遺影の方にじっと視線を向けていた。
「晩飯は喰った?」
「いえ、まだです。」
「そうか。俺も今から晩飯だけど、食材とか余分に買っていないから、悪いけどコンビニ飯でもいい? コンビニすぐ近くだし。」
「はい、だいじょうぶです。」
公一郎は圭太といっしょにコンビニに行き、適当に弁当を買って、家で食べた。圭太は十二歳だというのに、食べ方がきれいでマナーがしっかりしていた。
「食べ方、きれいだね。」
「へへっ、ありがとうございます。」
「俺の親も食事に関してだけはやたらとマナーにうるさくてね。肘をついて食べるなだの、飯の最中に足を組むなだの。」
圭太の親も、公一郎と同様に、食事のマナーに厳しい人なのだろうか。
公一郎の家には、中学生が好みそうなものなど置いていない。子どもの頃に読んでいたマンガくらいは残っているが、趣味が合うとも限らない。そんな心配をよそに、圭太は割とすぐに眠ってしまった。初めて来た家だというのに警戒心が皆無なのだろうか、それともよほど疲れていたのだろうか。
翌朝、公一郎が目を覚ますと、その物音で圭太も起きた。
「あっ、起こしちゃったかな。よく眠れた?」
「はい。」
「そういえばさ、昨日、風呂に入ってもらうの忘れていたよ。俺、いつも朝風呂だから……」
「いえ、僕はどちらでも。」
「それならよかった。じゃあ、先に入ってきてよ。」
公一郎がそう言うと、圭太は何か言いたそうな顔をして公一郎を見つめた。
「あの……」
「ん? どうした?」
「夏休みの間、ずっとここにいてもいいですか?」
公一郎は、頭上から何かが落ちてきたような衝撃を受けた。ひと晩泊めるだけでも結構な勇気を要したのに、夏休みが終わるまで、つまりあと一か月もの間、この謎の少年をずっと泊めろと言うのか。
「それはまずいよ。昨日も言ったけど、ちゃんとした理由もなく未成年を泊めるのは、本当はいけないことなんだよ。せめてお父さんかお母さんに……」
と公一郎が言い終わらないうちに、
「親はずっと留守なんです。」
と圭太が声を上げた。
「留守って、夏休みの間ずっと?」
圭太は小さくうなずいた。
いったいどういうことなのだ。親が留守というのは、せいぜい一日二日の話だと思っていた。それなのに、夏休みの間ずっととは。それでは、圭太は中学生なのに、一か月以上も一人で生活することを余儀なくされていたというのか。
「じゃあ、他の親戚の人とかは?」
「……連絡先がわかりません。」
何だか穏やかではない状況だ。親も親戚も、中学一年生の子どもを一人で放置しているということだ。
「迷惑かけないようにしますから、夏休みの間だけ、お願いします。」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。一か月はまずいって。せめて警……」
と言いかけて、公一郎は思いとどまった。「警察」という言葉を出すと、また不安がらせてしまう。実際、圭太の表情の雲行きが怪しくなってきた。
「……けい、圭太くんの知っている人でだれか大人はいないのかい?」
公一郎は何とかごまかした。このあたりは、話術を売りにしている家庭教師の特性が活かされた格好だ。
「だれにも言ってほしくないです。」
圭太は、自分がよその家に泊まっていることを他の人に知られたくないと言い出した。これでは、警察どころか児童養護施設などに相談することもできない。公一郎は打つ手を失った。もう、圭太を一か月間預かるしか方法がなくなってしまったのだ。たった数秒のやり取りが、公一郎には数分間にも感じられた。そして、覚悟を決めて公一郎は答えた。
「よし、わかった。一か月間、ここにいてもいい。」
圭太は、昨夜と同じようにニコッと笑顔になった。
「ただし、条件がある。」
公一郎が続けると、圭太の顔に緊張が浮かんだ。
「何度も言うけど、未成年を預かることは、本来は法律違反だ。人に知られたら大変なことになる。それはわかるね?」
少々厳しい物言いだが、大切なことなので、あえて神妙に話した。圭太は状況を察してか、臆することなくコクッとうなずいた。
「それで、圭太くんがここに泊まる理由が必要になる。『嘘も方便』ってわかるか?」
「嘘をついてもいい場合があるってことですよね?」
「そのとおり。だから、俺も圭太くんも、嘘をつくことにする。君は、俺の親戚の子で、夏休みの間は君の両親が海外出張でいないから、一時的に親戚の家に来ている、っていうことにするんだ。自分から言う必要はない。でも、近所の人とかに聞かれるかもしれない。そのときは、今言ったように答えるんだ。」
「……親戚の子、ですか。わかりました。」
圭太は一瞬だけ考えながらも、納得してくれたようだ。まあ、納得しなければ自分が追い返されてしまうわけだから、当然といえば当然だが。
「一か月、よろしくお願いします。」
圭太は明るく言った。
「よし、じゃあ帰る前に風呂と朝飯だ。」
こうして、公一郎と圭太の一か月間の同居生活が始まった。
