浜木綿騒動
四人がかりで浜(はま)木(い)綿(ふ)を掘りに行った。大きな浜木綿である。三かかえもあろうか、長い葉が乱れて一坪ほども地表を覆っている。葉をまとめて縛り上げ、白石、田中、福岡の面々が鍬をふるった。 この浜木綿の発見者は福岡君である。引越しの手伝いに行ったとき、その家の庭にあるのを目ざとく見つけて報告に及んだ。この庭は、引越し後ブルトーザがかけられ、或いは浜木綿もろとも均(なら)されてしまうかもしれないという危惧の念もあった。 それを聞き及んだ白石さんは、たまたま前日、万葉苑を散歩して、万葉苑の浜木綿がいかにも貧弱であったことを思い出した。よし、その大きいのを植えようじゃないかと提案し、田中さんが忽ち賛成して衆議一決、白石さんはどこからともなく鍬を一丁借用に及んできた。白石氏はまことに俊敏迅速、着々と手を打つ。持主にも一応話をつけて、かくて、この浜木綿掘りとなったのであった。 六月は、もはや夏の陽ざしである。鍬を振り、ヤットコサと掘り起した時は全員汗みづくになった。VYSの吉野君は酒屋をやっている。彼の配達用のトラックを借りて、浜木綿を護国神社に運び込んだ。女の力では、とうてい何のタシにもならないとアキラメて私は一足先に帰ったが、ややあって、三人が揚々と引き上げて来た。 「立派になりましたよ。やっぱりあのくらいのを植えておかなくちゃ」 「水はたっぷりかけておきましたからね」私は感謝し感激し、ついに「う月」集合してビールと鳥の足で大いにその労をねぎらい、万葉苑の発展を祝したのであった。 翌日、八木先生に御報告に赴くと、八木先生は首をかしげた。 「そりゃ、葉の長い浜木綿でございましょうが…」 「ヘエ、長い大きいのですが…」 「そりゃ、弱りましたナ」と、いさゝか八木先生は憮然たる面もちとなった。私がキョトンとしていると 「あれは、日本古来からある浜木綿で葉が短くて小さいのです。長いのはアフリカ浜木綿というて、近年日本にはいって来て、どこでも大きに育ちよりますが、日本古来のは、生える所も限られておりまして、あれは日振島(ひぶりしま)にあったのを分けてもろて来たのです」 「日振島…」こりゃエラいことになった、と私は浜木綿を掘った時よりもっと汗をかいて帰り、逐一報告した。 「あれは日振島の日本古来の浜木綿ですと…どないする」 「エラいこっちゃ」 「日本古来のは、大きなのの傍に植えておきましたから、あれをまた植え直しましょう」 「ヤレヤレ、棄てなかったとは幸せ」善は急げ?とばかりに三名はバイクを飛ばして護国神社に赴き、アフリカをエッサエッサと掘り返し、日本古来をウヤウヤしく植え直してどうやらメデタシ、メデタシ。教訓 祝杯は、専門家の意見を聞いた上であげること。近藤美佐子昭和43年7月1日発行 ひ誌 第126号 より