不食と断食、同じようなものに見えがちですが、実際は全く違うものです。山田さんの文章は、その違いをわかりやすく説明してくれました。
まず、「不食」というものは、全くあるいは殆ど(1日青汁一杯程度)食べない生活を日常とする事です。対して、「断食」は病気の治療や健康促進の為に、数日間食を断つ事です。つまり、不食は食べない事が日常で、断食は非日常なのです。
この違いは、行う人の意識が作り出しています。断食を行う人には、「食べないと生きられない」という意識があります。食べなくても生きられると分かっていても、潜在意識が食を意識しているのです。だからこそ、数日間しか食を絶たないのです。
不食者には、このような意識はありません。潜在意識から、不食を信じているのです。だからこそ、食べない事を心から楽しめ、危機感を感じずに日常にできるのです。
これを読んで、自分の甘さに気付いてしまいました。自分は週に数日断食するだけで満足してしまっていました。食への執着があったからこそ“断食”していたのです。不食を目指している訳ではありませんでした。
不食が絶対正しい訳では無いと思います。しかし、日本人がグルメ情報を垂れ流し、海外から食物を買い漁り、営利や些細な満足感の為にそれを投げ捨て、スイーツや焼肉を口にぶち込んでいる最中にも、少食すらできずに飢えている国もあります。日本人だけが飽食をしても許される、という事は無いでしょう。
世界の食料や砂漠化の事情を考えれば、世界中の人々が飽食を楽しむのは無理なのがよく分かります。本当の食物というのは、地球の大自然からもたらしてくれたものです。どんなに人間の科学技術が進歩しても、これを再現するのは不可能でしょう。仮にできても、糖尿病や戦争といった別の問題が生まれてしまうでしょう。
山田鷹夫さんも仰っていましたが、まず大事なのは少食になれる事です。流石に、いきなり不食は無理があるようです。少食に移行する過程で、食への依存心が消えていくそうです。
しかし、不食にも1つ問題点があります。それは暇になる事です。不食になれると、食事や調理、買物の時間が必要なくなります。また、食事に使う体力も使わなくなるので、睡眠時間が短くなります。なので、かなり暇になってしまうそうです。
これを克服する為に、不食ないし、少食で浮いた食費や時間を何に使うか考えて紙に書いてみるのが良いでしょう。具体的にいくら、何時間浮くか計算するとなお良いです。新しい趣味を始めるのも良いと思います。
1番大事なのは、不食への道程に、子供の時のようなワクワクした気持ちで臨む事です。
思えば、自分にもそんな事がありました。小学四年生くらいの事です。その時自分はあのポケットモンスターに夢中になっていました。そのポケモンのカードゲームの大会が札幌で行われるというので、親に頼んで連れていってもらいました。大会は予選で敗退してしまいましたが、誰でも参加できるフリー対戦コーナーに入り浸って対戦することにしました。そこで6勝(たぶん)すると貰える景品(ナッシーとミュウツーのコイン)が欲しかった自分は、親と祖母が「昼食に行こう」と言っても聞かずに、そこで夢中になって対戦し続けたのです。景品を貰えて食事に行ったのは午後4時頃でした。
普通、「ご飯が食べたい」と言い出すのは子供の方なのに、親が食べようと言っても食べなかったあの時の自分には、食事よりも大事で、楽しい事がありました。あのポケモンカードゲーム大会は、今でもよく覚えています。何かに夢中になる純粋な子供のような心が、不食において何よりも重要なことかもしれません。
子供と言えば、皆さんは子供の頃に「今晩は何が食べたい?」と親に聞かれた事がありますか?自分は「なんでもいい」と答えて、親を困らせる事がよくありました。「なんでもいい」という事は、食べたいものが無いという事です。ならば、「食べない」という選択肢を1つ加えておく。そんな些細な意識の変化がこれからの時代に必要な事だと思います。
