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ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 

映画「キリストの民―私たちの時代」の衝撃

 セルビアの著名な映画監督エミール・クストリッツァが手がけたドキュメンタリー映画「キリストの民―私たちの時代」が世界各地で順次公開され、波紋を広げているようだ。2024年9月のベオグラードでの初公開を皮切りに、モスクワ、ワシントン、そして今年5月29日にはパリでも上映されたという。本作品では,日本ではほとんど報道されない問題ではあるが、ウクライナ当局によるウクライナ正教会(UOC-MP、モスクワ総主教庁系)への迫害が生々しく描かれている。上のYouTube動画では、日本語の字幕はないが英語の吹き替えで全編が見られる。

 

ウクライナ政府による宗教弾圧

 教会財産の没収や聖職者・信者への弾圧(逮捕・投獄)など、さまざまな迫害行為が具体的な証言を通じて告発されている。映画では、このようなウクライナ政府の正教会弾圧を、「信教の自由」という普遍的な権利の侵害として描こうとしているように見える。確かにこの側面だけを切り取って見れば、宗教的自由の侵害であり、下のように国連が非難するのも理解できる。

 

二つの「ウクライナ正教会」

 だが、この問題は、やはりロシアのウクライナ侵略という文脈で見る必要があるだろう。現在ウクライナには、二つの対立する「ウクライナ正教会」が存在する。

 モスクワ総主教庁系の「ウクライナ自治正教会(UOC-MP)」と、

 2019年に設立されたキーウ府主教庁系の「ウクライナ独立正教会(OCU)」

の二つである。OCUが設立された詳しい経緯は割愛するが、設立のきっかけは2014年のロシアによるクリミア侵攻である。そして2022年のウクライナ侵攻以降、ウクライナ政府は前者UOC-MPへの弾圧・排除を強めていった。言うまでもなく、ウクライナ政府がロシアとの関係が深いUOC-MPの非合法化に動いたのは、「信教の自由」の侵害という人権問題よりも、国家安全保障上の懸念を優先したからにほかならない。つまりウクライナ政府にとって、UOC-MPを合法的な宗教組織として認めることは、国のど真ん中にスパイ組織を置いておくことと変わらず、また、精神的にもロシアの支配下に置かれることを意味した。現にゼレンスキーは、UOC-MPがロシアの侵略を正当化するイデオロギーをウクライナ国内で広げようとしているとの懸念を表明している。

 

個人の信仰と国家の存立

 個人の信仰と国家の独立とをどうバランスを取るのかは難しい課題だ。原理・原則を言うなら、政治が宗教に介入してはならないし、特定の宗教組織に圧力を強めるようなことがあってはならないと思う。原理原則はそうなのだが、この問題を今のウクライナ戦争という具体的な文脈に即して考えるならば、つまりウクライナの主権が大国の侵略によって脅かされている状況を踏まえて考えるなら、その大国(ロシア)との太いパイプを持つ宗教組織を非合法化することで国家主権を守ろうというウクライナ政府の判断もまた、国家原理としては合理的なものと言えよう。とはいえ、国家が個人の信仰を抑圧することは許されない。OCUには政治的で民族主義的な信者が多いと聞くが、伝統のあるUOC-MPには古くからの敬虔な信者が多い。そういったUOC-MPの信者をすべて敵国ロシアと通じたスパイと決めつけるのは無理があるだろう。信者たちの信仰は尊重しながら国家の主権や独立を維持する方策を,信者たちとの対話を通じて模索すべきだと思う。

 

ロシアの侵略戦争がもたらした社会の分断

 こうした複雑な宗教的分断や対立をもたらしたものは、何といってもクリミア侵攻に始まるロシアの侵略行為だ。上のクストリッツァの映画のように、ウクライナ政府による宗教弾圧を告発し非難することももちろん重要だが、同時に、それ以上に国際社会からの非難や批判を強めるべきは侵略戦争をやめようとしないロシアに対してであろう。その点、新しくローマ教皇となったレオ14世が、侵略を受けたウクライナに寄り添う姿勢を見せているのは一筋の光である。

 

ゼレンスキーが新教皇に贈った聖母子像

 ゼレンスキーは、新教皇レオ14世との会談の際、ハルキウ州イジュームの砲弾箱の板に描かれた「聖母子像」を贈った。この絵は、ロシアに虐待されたり連れ去られたりした子供たちを称えるために描かれたものだという。このエピソードには非常に意味深いものを私は感じた。ゼレンスキー自身はユダヤ教徒だが、聖母子像のマリア崇拝はカトリックと正教会に共通する信仰である。もちろん新教皇もマリア信仰を継承しており、ゼレンスキーから贈られた聖母子像には大きな感銘を覚えたであろう。と同時に、ウクライナへの連帯感を一層強めたのではないか。

 

バチカンに期待すること

 教皇率いるバチカンは、世界最小国家にして非武装中立国であり、その立場からこれまでも数々の和平仲介の役割を担ってきた。ロシア・ウクライナ戦争についても、私はトランプ米国大統領なんかに望みを託すよりも、バチカン新教皇に停戦仲介の役割を期待する。私だけでなく、宗教を超えて世界がそれを望んでいるのではなかろうか…