前回紹介した大谷恭子さんへの追悼文(「大谷恭子弁護士の死と、同時代を生き、闘った者への彼女の思い」)の中で太田昌国さんは,大谷さんが「カルメン・マキさんのコンサートに救われた」と話していたというエピソードを書いていた。これを読んで私は「そうだ!カルメン・マキがいる」と思い,それから暇を見てカルメン・マキの歌を聴いている。なかでも,大谷さんにピッタリの曲だなと思ったのは,「それはスポットライトでなはい」。元々は浅川マキが自ら訳詞を書いて歌ったものが日本でのオリジナルだが,寺山修司が世に送り出したもう一人の「マキ」,カルメン・マキが歌った下のヴァージョンも凄く良い。
あの光 そいつは
あんたの目に
いつも輝いていたものさ
何度も聴いているうちに,上の歌詞の部分は大谷さんが語っているもののように思えてきた。大谷さんは,死刑囚であろうと,また「テロリスト」「カルト信者」「鬼母」とレッテルを貼られた人物であろうと,どんな悪人や犯罪者,障害者,弱者に対しても,その人自身が放つ光を見ていたような気がする。それはスポットライトではなく,ロウソクの灯でも太陽の光でもない。彼/彼女が自ら発している光なのだ。絶望や哀しみの底にほんの微かに見える希望の光を,大谷さんは確かに見ていた。前回か前々回にも書いたが,生への絶対的な肯定,人は生きているだけで輝いている存在なのだという人間愛が,大谷さんの全活動を貫いている。
上のカルメン・マキの歌声を聴いていると,そういう大谷さんの弁護活動と重なり合って,込み上げてくるものがある。
ところで,大谷さんも弁護人を務めた元死刑囚・永山則夫が毎年のように袴田巌さん宛てに送っていた直筆の年賀状を,「FRIDAY」が公開していた。小さなスペースに永山ワールドが全開しているが,袴田さんを信頼できる同志と見ていたからこそ,このような年賀状を送ったのだろう。死刑という国家の暴力に対して共に抵抗し闘おうと呼びかけているようにも思える。死刑囚だからこそ見える真実がある。だから「万人は死刑囚のために,死刑囚は万人のために」と書いた。
瀬戸内寂聴は一番思い入れのある女性革命家は誰か,と大谷さんに問われて,迷わず大逆事件の「菅野須賀子(スガ)」と答えたというが,その理由は「実際に実行したのは彼女だけ」というシンプルなものであった。大谷さんは,永山が唱えていた「万人は死刑囚のために」という理念を実践した。そして,「死刑囚は万人のために」は,永山が執筆活動や子どもの支援活動などで実行した。
私が法曹でもないのに大谷さんに思い入れが強いのは,瀬戸内寂聴が菅野須賀子に一番思い入れがあるのと同じ理由なのである。実際に大谷さんは,弾圧され孤立した人の側に立ち,寄り添い,弁護し続けた。口で言うほど簡単にできることじゃない。そういう大谷さんの実行力を根っこのところで支えていたのは,彼/彼女の目の輝き,懸命に生きる生の光だったのではないか,と思うのである。彼/彼女が犯した犯罪や事件は社会の矛盾を映し出している面が大いにあるし,そういう彼/彼女だからこそ社会の真実を見出している。彼/彼女の目にいつも輝いていたものは,理性が照らす真実の光だったのではないだろうか。大谷さんは確かにその光を見ていた…
It's not the spotlight, It's not the candlelight,
Its not the streetlight,
Its some old street of dreams,
It ain't the moonlight,
Not even the sunlight,
But I've seen it shining in your eyes,
And you know what I mean,
You know what I mean.
(元記事 11月24日19時11分 投稿)