鵜塚健・後藤由耶『ヘイトクライムとは何か』(角川新書) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 ヘイトクライムは,一般的に人種や宗教など特定の属性を持った人たち(マイノリティ)への差別意識にもとづいた犯罪を指すが,掲題の本では主に在日コリアンを標的にした民族差別に絞って論じている。本書を通読してまず思ったのは,近年日本で起こっているヘイトスピーチやヘイトクライムは,日本の歪んだ社会構造を映し出す自画像なのだなということである。本書は関東大震災時の朝鮮人虐殺からちょうど100年にあたる昨年9月に出たものだが,その100年前から日本社会の構造や病理は何ら変わっていないことが,本書を読むとよくわかる。

 

「関東大震災後の虐殺は,日本のレイシズムの源流。一〇〇年前だが,現在にもつながっています 

(鵜塚健・後藤由耶『ヘイトクライムとは何か』角川新書p.153)

 

 日本では,ヘイトスピーチに関しては2016年にヘイトスピーチ解消法が不十分な内容ながらも一応できたが,ヘイトクライムに関しては,それを規定し処罰する法律は未だないし,ヘイトクライム(憎悪犯罪、差別犯罪)という概念自体それほど浸透していない。下の図は,本書第三章の冒頭で紹介されている概念図だが,①偏見による態度,②偏見による行為,③差別行為,④暴力行為,⑤ジェノサイド(大量虐殺),という順に憎悪が積み上がり,エスカレートしていく構図を示している。日本は,100年前の関東大震災時の朝鮮人虐殺を直視・反省することなく,むしろ無かったことにすることで,こうした「憎悪のピラミッド」社会を放置してきたといえる。

 

 

 この図で重要なポイントは,一般的には軽く見られる「偏見による態度」(冗談やうわさ,敵意の表明など)や「偏見による行為」(嘲笑,いじめ,誹謗中傷など)を放置することが,次の差別行為や暴力行為,引いてはジェノサイドへとつながっていくという差別の連鎖である。だから,「偏見による態度」や「偏見による行為」を決して野放しにしてはならないということだ。

 

関東大震災後の朝鮮人虐殺,独ナチスのホロコースト,ルワンダの大虐殺……。どれも人類が同じ人類に対して犯した歴史的な過ちであることは論を待たない。ただ,どれも突発的に発生するものではない。その前段階には,野放しにされたヘイトクライムがあり,ヘイトスピーチがある。さらにその背景には,日常に隠れがちな差別,偏見,先入観がある。 (同書p.88)

 

 

 「偏見による態度・行為」に大きな影響を及ぼすものとして,もちろんマスメディアが挙げられるだろう。例えばその中で大量に垂れ流されるお笑い番組の影響もかなり大きいのではないかと思う。若い視聴者に偏見や先入観を植えつけるのに影響大だったと思うのは,1970年代のドリフターズや漫才のやすきよに始まり,80年代のフジTV「オレたちひょうきん族」やビートたけし,90年代以降のダウンタウンなどであろう。今,冷静に振り返ってみれば,その弱い者いじめや女性蔑視(ミソジニー),異端者の嘲笑,地位・権力を持つ者への媚びへつらい(権威主義)などは目に余るものがある。彼らのお笑いというのは,ユーモアとか風刺といった知的なものからはほど遠く,人を傷つけ貶める暴力的要素をはらんだ悪質な見世物である。

 

 ちょっと細かい話になるが,確か80年代,俳優の岸田森が若くして亡くなった直後,ビートたけしが何かのテレビ番組に出てきた時,いきなり「こんばんは,岸田森です」と言って笑いを誘っていた。その意表を突いた大胆な発言が受けたのだろうが,人の死をも笑いのネタにする「何でも有り」の風潮が当時のお笑いにはあったような気がする。また70~80年代,漫才でトップに立っていたやすきよの横山やすしは,差別感情むき出しで在日朝鮮人のことを「○ョン公」と呼んで,笑いを取っていた。90年代に絶大な人気を得たダウンタウンのコントというのは,人の頭を本気で叩いたり食べ物を無理やり口に押し込んだりといった物理的暴力や,人を蔑んだり嘲笑したりするような言葉の暴力など,暴力的要素の色濃いものであった。今では考えられないことだが,ヘイトスピーチやヘイトクライムまがいのことがテレビのお笑い番組では行われていて、高い視聴率を取っていたのである。こうしたお笑いをくり返し見せつけられた人たちは、差別行為や暴力行為へと直結する偏見や敵意、差別意識を内面にすり込まれていく。

 

 時代は変わって今はネット全盛の時代。在日コリアンをはじめマイノリティへの偏見や差別を煽る言説がネット上には溢れる。本書の第一章・第二章で取り上げられている京都・ウトロ地区放火事件や大阪・コリア国際学園放火事件の犯人はいずれも,ネットで得た根拠のない偏った情報をもとに在日コリアンへの憎悪や差別感情を募らせ,犯行に及んだ。しかも二人とも,実際に在日コリアンの人と会って話をしたことがないという。現代では,テレビに代わってネットがヘイトスピーチやヘイトクライムを生む温床になっているわけである。

 

 テレビやネットに加えて,ヘイトスピーチやヘイトクライムの社会的蔓延に大きな影響を与えているのは「官製ヘイト」である。法規制がないことをいいことに,差別しても構わないという風潮や状況を,政府や公人らがつくり出している。「官製ヘイト」の代表的なものが,朝鮮学校の高校無償化除外という差別行為であろう。この政府による差別に追随する形で,大阪府や東京都などの自治体が朝鮮学校への補助金を打ち切った。また,衆議院議員の杉田水脈は,チマ・チョゴリを着た女性を「コスプレおばさん」と呼び,「品格に問題がある」「日本国の恥さらし」とこき下ろした。

 

 このように日本では政府や自治体,国会議員が露骨に差別行為やヘイトスピーチを行っているのである。だとすると,民間に蔓延るヘイトスピーチやヘイトクライムは,こうした「差別行政」によって方向づけられ,煽られているともいえよう。

 

 戦後,日本政府は朝鮮学校閉鎖令を出すなど,朝鮮学校を徹底的に弾圧してきた。現在もその敵対的・差別的な姿勢は変わらない。こうした官製ヘイト=差別行政に呼応する形で朝鮮人へのヘイトスピーチやヘイトクライムが社会に拡散し根付いていった。差別とは「歴史的,構造的な問題」なのである。

 

ヘイトクライムは,現代社会が急に生んだ問題ではない。丹羽(弁護士)は「歴史的,構造的な問題だ」と強調する。日本政府と日本社会が,過去の植民地政策をきちんと検証,精算しないままやり過ごしてきた。さらに政治家をはじめとする公人が差別を放置してきた実態が,ヘイトクライムを生み出す背景にあるのだと,厳しい目を向ける。 (同書p.82)

 

 私は本書を読んで,「ジェノサイドの種」が日常生活のあらゆる場面に潜んでいること,そしてジェノサイドが特殊な時代や地域で起こる特殊な現象ではなく,いかなる社会でも起こりうるものであることを学んだ。一度ジェノサイドが起これば取り返しがつかないし,それを終わらせるのは難しい。だから私たちは,いじめやDV,職場でのハラスメント,性的な嫌がらせなど,日常に潜む「ジェノサイドの種」に強く異を唱えていかなくてはならないのだ。

 

 と同時に,現在世界で起こっているジェノサイドにも抗議の声を上げていかなければならない。昨日,国際司法裁判所(ICJ)は,イスラエルに対してジェノサイド的行為の防止を求める暫定措置命令を出した。つまりICJは,ジェノサイド防止が国際社会で最も重視すべき規範であることを示したわけである。国際社会はこのICJの判断を重く受け止め,イスラエルに一層強力な停戦圧力をかけるべきだ。特に,イスラエルの「自衛権」を支持してジェノサイドに加担する欧米諸国や日本は直ちに政策を見直し,即時停戦に全力を尽くせ!

 

 

 最後に,ドイツ・ライプツィヒでのクレタさんのスピーチ動画を下に上げておきます。クレタさんが珍しく良いことを言っている。「黙っているわけにはいかない」と。1分足らずの動画なので,是非観てほしい。前回記事で書いたように,無関心や沈黙はジェノサイドへの加担・共犯と同じことだ。だから,私たちは「黙っているわけにはいかない」…

 

誰も黙っているわけにはいかない。ジェノサイドが起きているのだから。・・・パレスチナと共に立つことは人間であることです。