自民党は統一教会のことはもう終わったことにして、統一教会とズブズブだったマザームーン山本や細田衆議院議長を次の選挙で公認するようだし、維新の馬場代表も自民党議員に負けず劣らず統一教会とベッタリだったようだ。私からすると統一教会について根本的な問題は何も解決していない。掲題の本を読んで、そのことを強く感じたわけである。
すなわち日本での統一教会の教勢拡大の背後には、日韓関係の歴史がある。その意味で日韓関係が真の意味で改善し正常化しない限り、統一教会問題の根本的解決は不可能と言える。この教団について、新興宗教のカルト性や信者へのマインドコントロールなどを指摘するだけでは本質的な理解には達し得ないだろう。その辺りが、日本人の理系エリートが入信し教団幹部となったオウム真理教とちょっと違う点である。韓国で生まれた統一教会は、日本での布教に成功し、日本の人たちから資金を収奪することによって、韓国の宗教的財閥に成長した。仮に日本宣教に失敗して資金調達ができなかったなら、統一教会は韓国におけるキリスト教系カルトの一つに留まったに違いない。だから韓日関係が鍵だというわけである。
本書で筆者・櫻井さんは次のように述べている。
賢明な読者は、日本における統一教会の拡大の背後に、日韓関係の桎梏を感じ取るだろう。韓国人教祖と幹部たちが抱く日本の植民地支配に対する恨(ハン)と、日本人信者の贖罪意識なしに、一方的な支配・従属の関係はありえないからだ。
(櫻井義秀『統一教会』中公新書p.ⅲ)
「韓国人が抱く日本の植民地支配に対する恨」という意識が統一教会の根底にあり、それがこの教団の強力な原動力として働いていたことは間違いないだろう。本書には、統一教会が布教・献金・霊感商法などによって組織的に人材と資金を調達する方法・戦略が具体的に細かく記されているのだが(第三章)、それらを読んでも他の新興宗教とそんなに違いがあるようには思えないし、そういう戦略論が統一教会の本質とも考えにくい。やはり「植民地支配に対する怨恨」に基づく韓日の支配・従属の関係が教勢拡大の根っこにはある。この点をしっかり踏まえないと、この教団の性格や全体像はつかめないと思うし、同時に統一教会問題の難しさもここに潜んでいる。
韓日の歴史にまともに向き合おうとせず、それどころか日本の官民に嫌韓の風潮を作り出した大立て者は安倍晋三であろう。そういう安倍を筆頭に自民党の政治家たちが統一教会とズブズブの関係にあったことは、どう理解したらよいか。もちろん歴史的に見れば、安倍の祖父岸信介をはじめ右派政治家が反共(国際勝共連合)という運動で統一教会と積極的に結びついたことはあったが、それはあくまで反共という一点での連携であり、植民地主義に対して自民党と統一教会の間で何らかの共通理解があったわけではない。むしろ両者は歴史認識やイデオロギーの面では真っ向対立していた。
1990年代に入って冷戦体制が崩壊し、反共のリアリティがなくなって以降、国際勝共連合の勢力は凋落していったが、統一教会と自民党の関係は続いた。統一教会の側では反共を旗印にするのはやめ、自民党右派の保守的な家族観にすり寄る形で政治家に接近していったようである。あくまで教勢拡大のために自民党を利用したわけである。一方の自民党の側も、1993年に55年体制が崩壊し、宗教団体を利用しなければ選挙に勝てない状況が生まれた。そこで、創価学会や日本会議系の宗教団体とともに統一教会にも選挙や政策実行のための支援を求めていった。つまり、お互いに利用し合う関係が成立していたわけである。
一九八〇年代から現在まで、自民党政権が宗教理念やイデオロギーの面において国際勝共連合と統一教会(世界平和統一家庭連合)を強く支持し、一体化してきたという証拠はなく、むしろ統一教会が私設秘書派遣や選挙時の無償ボランティア派遣などで政権へ積極的にアプローチし、お互いに利用し合う関係が続いたというのが実態だろう。
(同書p.69)
この自民党・統一教会の間のWin-Winの関係の中で、自己破産や家族崩壊、洗脳などの被害を受けたのが日本の一般市民の方たちなのである。その意味で加害者は統一教会だけでなく自民党もそうなのであり、両者は共犯と言ってよい。であれば、統一教会に裁判所が解散命令を出すのは当然であるし、同時に自民党に対しても国民が解散命令に匹敵するような制裁を加えることが必要だ。山上徹也容疑者は人の命を奪ったという点では責めを負うべきかもしれないが、加害者としての安倍の正体を暴き、その加害者に独自の方法で制裁を加えたという点では間違ったことはやっていないと言っていいだろう。
今日私がここで強く訴えたいのは、自民党を中心とした日本の政権が朝鮮半島の植民地支配の歴史に真剣に向き合ってこなかったことが統一教会のさまざま問題をもたらした根源だということである。逆に、日本の一般市民の方々は統一教会から強い贖罪意識を植えつけられ、その強い贖罪意識ゆえに反日的で韓国ナショナリズム的な教義に耽溺し信者になってしまった。例えば、「日本統治下でキリスト教徒が迫害を受けた韓国にこそイエスが再臨されるのだ」みたいな教義は、普通に考えれば牽強付会としか思えないのだけれども、自分の先祖との関わりで説かれると、そういう教えにも簡単に感化されて信仰に走ってしまうのかもしれない。
一九九〇年代以降、韓国の市民社会の動向を見極めた韓国政府は、日本の歴史認識を問うた。軌を一にして、統一教会も日本に道義的責任と賠償を求める宗教運動を展開していった。恨の心情が神や再臨主の言葉として語られるのを前に、日本人信者は、求められる贖罪に応じるしかなかった。なぜなら、日本人信者には近現代史についての知識も歴史認識もなかったからである。統一教会問題は、日韓におけるポストコロニアルな問題なのだ。
(同書p.318~p.319)
政治外交レベルで過去の植民地支配について相手国が納得するまで真摯に反省と謝罪をくり返し、個人への補償も十分に行っていれば、状況はもっと違っていたように思う。少なくとも日本の一般市民の人たちが極度の贖罪意識や後ろめたさから、反日ナショナリズム的な宗教に感化・洗脳され、教団の資金集めに狂奔することはなかったのではないか。日本政府は韓国併合を今でも「合法」だとする立場を崩していないし,65年の日韓基本条約でも植民地支配に対して国家として正式な謝罪はしていない。全く恥ずかしい国と言わざるを得ない。
統一教会問題の根っこに過去の植民地支配があることを自民党の連中はこれっぽっちも意識していない。彼ら・彼女らの中では1965年の日韓基本条約で植民地支配のことは終わったことになっている。だから統一教会のことは、救済新法も作ったし、もう終わったことにしようと開き直れるのだ。統一教会によって性的・経済的に搾取された日本の人たちのことを今の政権や自民党はどう考えているのだろうか。自分たちの責任を自覚していないのだろう。あまりにも加害者意識が薄すぎる。保守主義やナショナリズムを標榜するのであれば、そういう被害にあった日本人を何とかして救済し、補償を行うくらいのことをやっていいだろう。嫌韓ネトウヨ議員の松川るいの家族旅行に多額の公金を使うくらいなら、もっと統一教会の被害者など苦しんでいる人たちの支援・救済にお金を使えよと言いたい。
ちょっと話は逸れるが、中日新聞(東京新聞)の連載記事で韓国の慶州ナザレ園の近況が報告されている。ナザレ園とは、日本の植民地支配や朝鮮戦争など激動の時代を生き抜いた在韓日本人妻を支援し、晩年は介護やお見送りまでしてくれる施設。もとはキリスト教徒によって作られた施設だが、そこで働く韓国の方々の責任感と暖かい心に感動を覚えるとともに、それと比べて日本という国の冷酷さを思い知らされるわけである。日本政府は、統一教会の被害に遭った自国民さえも助けようとしないのだ。
日本政府が植民地支配という歴史に真摯に向き合ってこなかったことのツケが今、統一教会の日本支配という形で回ってきている。この国は今、歴史からしっぺ返しを食らっている。統一教会とは、朝鮮植民地支配をなかったことにしようとする松川るいなどの自民党右派の歪んだ歴史観が生んだモンスターと言えるわけである・・・