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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

この歌詞が心の支えになってます

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 前回の記事で一番言いたかったことは、声なき声に耳を傾けることの大切さである。歴史に埋もれてしまった人たちの声を掘り起こし、語り継いでいくこと――そういう地道な作業によってこそ歴史の真実が見えてくる。そういう視座の下で前回記事を書いた。中国政府に向けて何度も言うが、天安門事件を歴史から消してはならない。歴史にちゃんと向き合い、事件の再評価に一歩を踏み出せ!

 

 さて、歌詞についても、私は名もなき人の声を歌ったものが好きだ。私の心の支えになっている歌詞はといえば、「満鉄小唄」の中のこのフレーズしかないだろう。――

 

  マテツの金ポタンのパカやろう

 

 この歌詞ほど、日帝の朝鮮植民地支配の実態をリアルに切り取った表現もないだろうと思う。と同時に、春歌とはいえ朝鮮人娼婦の複雑な心情をこれほど美しく歌いあげた哀歌もない。客観と主観、歴史と人間、権力と民衆、差別と平等・・・その複雑な立体交差点にこの歌は佇んでいる。

 

 もとは日本人が、おそらくは差別的な意図をもって朝鮮訛りで作った、軍歌の替え歌だったが、それが逆に朝鮮人娼婦のリアルな心情を歌った哀歌としてアンダーグランドで歌い継がれていった。日帝の権力によって自由も仕事も奪われ困窮した朝鮮人女性の声を、植民地主義の文脈で聴くなら、歴史の真実が見えてくるのではないか。

 

 こういう歌を無名の歌手が歌うから、さらにこの歌の良さが出る。有名アーティストがいくら上手に歌っても、この歌手のような真実味は出てこないだろう。小川さくらというアーティストを知っている人はほとんどいないと思うが、私は数年前にSound Cloudで知ってからファンになった。こんな曲を歌っても商業的に成功するはずがないが、そんなことよりもこの歌を歌い継ぐこと自体に意味があることを、たぶんこのアーティストはわかっている。歴史の闇に埋もれた人たちの声を歌い継ぐことの意義と難しさを…