中野剛志『世界インフレと戦争』(幻冬舎新書) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 現在の世界的なインフレについて考えるため,当初は渡辺努『世界インフレの謎』(講談社現代新書)を読もうと思ったのだが,あるテレビの報道番組で著者の渡辺氏がインフレターゲット政策は有効とかインフレマインドに変える必要がある云々と話しているのを見て,ちょっと教科書っぽくて詰まらなそうだなと感じ,読む気が失せた。代わって掲題の中野剛志の本を買って読んでみた。中野さんの本は以前に何冊か読んだことがあるのだが(『国力とは何か』や『TPP亡国論』など),本書でもやはり反グローバリズムが強調され,マッチョで国家主義者的な主張が鼻につく。が,インフレや貨幣についての経済学的な理解は確かだと思ったし,特に積極財政の必要性を説いた経済政策論は説得力があり,本書の中で最も同意できるところだった。だから,本書の第一章と第五章を除いて,第二章~第四章を読むと,かなり為になる経済学の勉強になるのではないかと思う。

 

 本書で示される次のような中野さんのインフレ認識は,概ね妥当なものだろう。――

 現在の世界インフレは,「ディマンドプル・インフレ」ではなく,「コストプッシュ・インフレ」である。コストプッシュ・インフレとは,供給の需要に対する相対的な減少によって起こる物価の持続的上昇のこと。そこで現在のインフレは,コロナ・パンデミックの収束による需要の急回復やサプライチェーンの制約が原因であり,そこにロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー・食料の供給制約が加わって起こったものと言える。つまり2022年以降のインフレは,基本的には供給制約を原因とするコストプッシュ・インフレなのだ。そしてその背景には。グローバリズムの終焉という,世界の歴史的な構造変化がある。

 

 

 こうした現在のコストプッシュ・インフレに対して,アメリカは金融引き締め=利上げという伝統的な手法で抑制しようとしているが,筆者によれば,それはディマンドプル・インフレに対しては有効だが,コストプッシュ・インフレには逆効果で,家計や企業に大きな犠牲を強いることになるという。

 

コストプッシュ・インフレ下での利上げは,確かにインフレ自体は抑制できるのかもしれないが,その結果として,パウエル自身も認めるように,家計や企業は犠牲になるからである。 (中野剛志『世界インフレと戦争』幻冬舎新書p.90)

 

より長期的に見れば,利上げによって企業の設備投資が減速するならば,供給能力の拡大のための投資が行われないということになる。すなわち,金融引き締め政策は,長期的にはコストプッシュ・インフレの圧力(供給制約)を緩和するのではなく,むしろ強化してしまうのだ。 (同書p.95)

 

 

 

 こうした「誤った政策」(=金融引き締め)がアメリカの金融政策当局(FRB)から出てくるのは,主流派経済学(=一般均衡理論を基礎とする新古典派経済学)の貨幣理論に依拠しているからにほかならない,と筆者は言う。すなわち主流派経済学の貨幣理論は,民間銀行が中央銀行に設ける準備預金の量を政府(中央銀行)が操作することによって貨幣の供給量をコントロールできるとする「外生的貨幣供給理論」に立脚している。この貨幣理論からマネタリズムやニュー・コンセンサスなどの経済学の潮流が生まれたが,しかし,これらは間違っている。

 

 外生的貨幣供給理論は,政府が民間経済の外部から貨幣を供給すると想定しているが,貨幣を供給するのは銀行である。すなわち銀行は,企業や家計などの借り手に貸し出しを行うことによって,預金という貨幣を創造する(「信用創造」)。このように貨幣とは,銀行と企業との貸し借りの関係の内側から,つまり内生的に発生しているのである。こうした貨幣理解を「内生的貨幣供給理論」という。

 

 この内生的貨幣理論の上に理論体系を構築し,経済政策を導き出しているのが,非主流派のポスト・ケインズ派である。筆者はポスト・ケインズ派の経済学こそが,主流派経済学にとって代わるべきだと主張するが,私もまったく同意見だ。そして,このポスト・ケインズ派の伝統の中から「貨幣循環理論」と「現代貨幣理論(MMT)」という注目すべき貨幣理論が発達してきた。これらのポスト・ケインジアンに共通するのは,政府は財源の制約を受けずに財政支出を拡大でき,貨幣を供給できるという点である。だから合言葉は,「積極的に財政を出動せよ!

 

 ポスト・ケインズ派は,インフレが問題になるのは,多くの場合,コストプッシュ・インフレであると考えている。また,変動相場制の下では,自国通貨を発行する政府(及び中央銀行)は,貨幣の供給を無制限に行うことができることを明らかにしている。もっとも,政府支出には資金の制約はないが,実物資源の供給には制約されている。ただし,供給制約は,企業や政府による投資によって緩和することができる。そして,需要の拡大は供給をも増やすのである。

 したがって,コストプッシュ・インフレに対して,ポスト・ケインズ派は,金融引き締め政策ではなく,供給制約を緩和するための積極財政政策を処方するのである。

 (同書p.166~p.167)

 

 実際に各国のデータを見ても,財政支出の伸び率は,名目および実質GDPの成長率と高い相関関係を示している(本書p.161の図表4-5参照)。では,日本はどうなっているかというと,1997年~2017年において主要31か国の中で財政支出の伸び率が最も低く,また経済成長率も最も低い。日本という国は世界の中でも突出した緊縮財政の国であり,そのためにデフレが続いているのだ。

 

・・・そもそも,日本は大規模なバラマキを行うどころか,世界に冠たる緊縮財政国家であったのだ。そして,この間,デフレの状態が続いていたのも,日本だけである。他のどの国よりも財政支出を抑制し続けたのだから,それも当然である。 (同書p.160)

 

・・・政府が積極財政を続けることで,需要主導の経済成長が持続し得るのである。言い換えれば,発達した資本主義経済において,成長を持続させるためには,継続的な財政支出の拡大が必要だということである。 (同書p.157)

 

 以上のような中野さんのポスト・ケインジアン的な経済学理解や政策提言は至極理論的で,信用できるものだが,問題は,中野さんがこういうポスト・ケインズ派の経済学や積極財政論をどういう政治的・思想的立場から説いているのか,という点である。冒頭で述べたように,中野さんの言説は,かなりマッチョで国家主義的な色彩が濃い。官僚出身(通産省)でスコットランドの大学で博士号を取得するなどの超エリート・コースを歩んだという経歴も影響しているのかもしれないが,国民・市民を置き去りにした国家至上主義的な主張が目立ち,そのあたりが私には馴染めず,中野さんに対して警戒感を持つ所以である。

 

 本書でも,日本が最優先に取り組むべき課題として防衛力の強化を挙げている(本書p.193)。また,軍事だけでなく,食料やエネルギーの安全保障も喫緊の課題だとし,エネルギー安全保障の文脈では原子力発電の推進を訴える。さらには国家主義的な統制経済も提案する。

 

 中野さんの提案はまるで戦時経済体制をつくろうとしているように見えるが,まさにそうなのだと本人は言う。

 

 大規模な積極財政による資源動員,産業政策による資源配分,資本規制,価格統制。これでは,まるで戦時経済体制ではないか!そう思われたかもしれない。

 (中略)

 端的に言えば,現在は,ある種の戦時中なのだ!そうであるならば,戦時経済体制が必要になって当然ではないか。しかも,この世界秩序の危機は長期化するものと思われる。ならば,それに伴って,戦時経済体制も長期化を余儀なくされるはずである。

 (中略)

 恒久戦時経済,これこそが二十一世紀の日本経済のあるべき姿である。

(同書p.203~p.204)

 

 せっかくのポスト・ケインジアン的な積極財政論が,結局こういうタカ派で右翼的な結論に至ってしまったのは残念と言うよりほかない。政府による経済・財政政策が,国民生活の豊かさとか物価・雇用の安定,経済の持続的成長といった本来の目的から離れて,国家権力の強化や領土の防衛といった国家目的に向けられている。「大きな政府」の意義や有用性を強調するあまり,そこに市民や弱者の視線が入り込む余地はなく,「大きな政府」が自己目的化してしまっている。政府を大きくし,財政支出を拡大すれば,すべてうまく行くと信じられている。例えば政府が軍事支出を増やせば,軍事需要が拡大し,投資や雇用も増加して経済を活性化させる可能性は高いが(「軍事ケインズ主義」),それで戦争のリスクが高まり,実際に戦争が起こって国土が焦土と化したら元も子もないだろう。

 

 だから,経済理論そのものも確かに大切だが,それを枠づけ方向づける,より大きな思想的な枠組みも重要になってくる。本書を読んで,思想の重要性を痛感する。本書の理路整然と語られる経済論理に目を奪われてしまって,そこに潜む国家主義や全体主義の危険性を読み取れないようではマズい。理論の正しさは正当に評価しながらも,一方で軍備増強や原発,統制経済などのリスクは理性的に判断できるようにしたい。本書全体を読んで第一に私が受けた印象は,積極財政論が国家主義的な主張に利用されているというネガティブなものであった。積極財政論それ自体には賛同するのだが,本書全体の論調には強い違和感や反発を覚える。

 

 誤解を招かないように言っておくと,積極財政論は決して国家主義者の専売特許ではない。むしろ経済を民主化するために積極財政は行われるべきなのだ。経済の民主化とはひと言で言えば,人々の手に経済を取り戻すこと。日本の現状に即して具体的に言うなら,新自由主義と緊縮財政によって疲弊し分断された現代の日本社会において,政治が経済の手綱をしっかり握り返して,人々に富とパワーを分配するような政策・運動のことだ。イギリス在住の保育士ブレイディみかこは,こうした動きを「経済にデモクラシーを!」と呼ぶ。

 

おすすめ度★★★★★

 

 中野さんの本書の前後に,そのブレイディみかこの『THIS IS JAPAN』(新潮文庫)を読んだのだが,中野さんと同じ反緊縮=積極財政の立場でありながら,みかこさんは上記のような「経済にデモクラシーを」といったリベラル的な主張をしている。そこには積極的な財政出動によって庶民の生活をもっと楽にし,貧困や格差を是正していこうという視点がはっきり読み取れる。みかこさんがよく使う言葉で言えば,「地べた」とか「グラスルーツ(草の根)」の目線から経済を見ているわけである。中野さんの国家主義的な見方とは随分,見える景色が違う。『THIS IS JAPAN』に書かれている,ネオリベ政策や緊縮財政により切り捨てられ疲れ切った人々のことを読むと,やはりみかこさんの「経済にデモクラシーを」とか「ミクロ(地べた)をマクロ(政治)に持ち込め」といった主張が心に響く。

 

 積極財政をファシズムの手段に使うな!

 

 積極財政は民衆のツールだ!