君は「13円50銭」を聴いたか | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 昨年7月に中山ラビが亡くなったときに追悼記事を書いて,そこで「13円50銭」という曲をアップした。これはラビさんの原点とも言える曲だと思ったからだ。この曲は,関東大震災の際の朝鮮人虐殺に題材をとったものだが,ラビさんは恐怖に怯える朝鮮人の側に視点を置いて,その心象風景を淡々と歌っている。特に「50銭」の部分を「コチーセン」と歌っているところが,とても哀しく心に響く。

 

 知らんぷりして すれ違う

 身を守るため 13円50銭

 

 どもるだけで すべて終わりさ

 身を守るため 13円50銭

 

 大震災の混乱の中で,日本人の自警団らが,通りすがりの見慣れぬ人たちに片っ端から「13円50銭」(ほかにも「10円50銭」や「15円50銭」など)と言ってみろと迫り,うまく言えない者は朝鮮人と決めつけて,なぶり殺しにした。朝鮮人だけでなく中国人も虐殺の対象となり,また日本人でも「標準語」をうまく話せない地方出身者は,間違って殺害された。

 

 「不逞鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というデマが流れ,これを信じた人々が地域の自警団を中心に朝鮮人虐殺を行ったとされる。デマやヘイトスピーチが虐殺を招いた典型的な歴史的事件であったわけだが,問題は,このデマを発信し拡散したのが治安当局(内務省)だったという事実である。つまり,その4年前に起きた三・一独立運動のような抗議運動に発展することを恐れた国家権力側が,治安維持のために「朝鮮人蜂起」をでっち上げ,虐殺を煽ったわけである。朝鮮人殺害には日本軍が手を下した事例も多かったようだが,デマに煽られた一般の日本人も虐殺に加担した。無知と偏見と憎悪に基づくデマがいかに恐ろしいものであるかを,私たちはこの虐殺事件で学んだはずだし,そこから50年後,ラビさんは「13円50銭」という歌で,迫ってくる日本人に怯える朝鮮人の心情を私たちに伝えてくれた。そして,その「13円50銭」から50年後の今日,この国は一体どうなっているか。――

 

 情報技術の発達によって,デマやヘイトスピーチが溢れる世の中になってしまった。つまり虐殺の危険が身近に迫った社会になったと言える。何と言っても,関東大震災時の朝鮮人大虐殺をなかったことにしようという馬鹿者どもが政権中枢や地方自治のトップに立っていることが,現在のデマ・ヘイト社会を象徴しているだろう。政治が差別や憎悪を容認しているわけだから,そうした動きや風潮が世の中の主流となっていく。

 

 ちょっと前には防衛省の沖縄防衛局職員が辺野古の基地反対派に対して「日本語わかるか」という差別的発言をした。そして今回,ひろゆきとかいうネット上ではそれなりに影響力のある人物が,辺野古基地の反対運動を現場に行って揶揄する行動を繰り返した挙げ句,「沖縄の人は文法通りしゃべれない」という差別丸出しの発言をYou Tubeで垂れ流し,沖縄への憎悪や差別を煽り立てた。

 

 

 沖縄の人々が方言差別や「方言札」などで苦しめられ,さらには標準語を話さないために日本軍や自警団に虐殺されたという苦難の歴史を知らないから,こういうヘイト・スピーチが次から次へと出てくる。私は前々から,こうしたヘイトスピーチの氾濫を抑えるには,刑事罰を含めた強い法規制が必要だと主張してきたのだが,なかなかそういう機運が高まらない。まあ,レイシストや歴史修正主義者が政治のトップにいるのだから,そういった実効性のある法改正が進まないのも当然だが,そこを何とか市民や被差別者の力で克服し,反レイシズム,反ヘイト・スピーチの言論や運動を盛り上げていきたいと思う。

 

 ヘイト・スピーチの刑事規制に反対する人たちは,必ず表現の自由の侵害という点を理由として持ってくるのだが,そもそもヘイトスピーチが自由な表現とか言論といったものではなく,マイノリティの尊厳を傷つけ,彼・彼女らを黙らせ,彼・彼女らから表現の自由を奪う暴力であり犯罪である,という点を全く理解していないのである。ヘイトスピーチは何より人権問題なのだ。そして,そのヘイトスピーチのすぐ先には実際の暴力(ヘイト・クライム)や集団虐殺(ジェノサイド)が控えていることを肝に銘じるべきだ。表現の自由とは,マイノリティの人権を侵害しない限りで認められるべきものだ。


 確かに権力側による恣意的な規制,濫用には気をつけなくてはならない。ヘイト・スピーチだという口実で,国家権力がマイノリティへの弾圧を強めることも十分に考えられる。だから,権力側による濫用を許さないような形で,実効性のある法規制を作り運用していく必要がある。そのためには,まず大前提としてヘイト・スピーチの定義を明確にし,それを社会の共通理解としておくことが必要であろう。一般的には,ヘイト・スピーチとは,

人種・民族・国籍・性などの属性を持つマイノリティの集団もしくは個人に対して,その属性を理由として行われる差別的表現

と定義される。

 

 ここで問題になるのはマイノリティとは何か,ということである。この定義が曖昧だと,権力側に濫用を許すことになりかねない。師岡康子さんの『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)には,国連機関によるマイノリティの定義が紹介されているが,それによると,マイノリティには5つの要素があるという(本書p.40~p.41)。――

 

①一国の中で数的に劣勢な集団であること

被支配的な立場にあること

③その国の国民であること

④国民の多数とは違った民族的・宗教的・言語的特徴があること

⑤自己の文化・伝統・宗教・言語を保持することに連帯意識があること。

 

 この定義に照らして考えると,上のひろゆきの発言というのが,5つの要素をすべて満たしたマイノリティへの,偏見・差別に基づく攻撃,すなわち確信犯的なヘイト・スピーチであることがわかる。また,防衛省職員や機動隊員による沖縄の人々に対する「土人」や「日本語わかるか」といった発言も,明らかにヘイト・スピーチにあたる。衆議院議員 杉田水脈の「LGBTは生産性がない」といった発言もまた正真正銘のヘイト・スピーチである。逆に,政府与党の国会議員や米軍基地の軍人などはマイノリティとは見なされないから,こういった権力側の人間に対する非難や批判はヘイト・スピーチとはならない。

 

 上のひろゆきや杉田水脈が発した,ヘイト・クライムや虐殺を煽るような悪質なヘイト・スピーチは,国際人権標準では刑事罰の対象となる。本来であれば,即刻刑事告訴されるべき案件なのである。ここまで悪質でないヘイト・スピーチについては民事規制,それ以下の軽い侮辱や暴言の類は法規制以外の方法で抑制を図る。これが国際標準なのだ。先進国とされる日本は,人権擁護の面では実は100年遅れている。だから未だにジェノサイド禁止条約を批准しようとしないし,人種差別撤廃条約にも留保を付けている。したがって国内で包括的な差別禁止法を作るには至らない。

 

 ヘイト・スピーチを許さない法制度を整えることとともに,もう一つ忘れてはいけない大切なことは,中山ラビの「13円50銭」を歌い継ぎ,後世に伝えていくことだろう。1972年にこの曲を含むアルバムが出た当初は,よく聴かれたのだろうが,近年ではメディアで流れることはなく,ネットで話題にのぼることもない。事実上の「放送禁止歌」状態になっている。もちろんこの曲をカバーするアーティストも現れない。この曲が人口に膾炙し,真に理解される日が来れば,それはヘイト・スピーチとの決別を告げる,多様で平和な社会への第一歩となるであろう・・・