第三の敗戦 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 

 にしても小池百合子ってスゲーよな。この感染爆発の真っ只中で子どもたちをパラリンピック観戦にかり出そうとしてる。抗体を持っていない子どもたちを,感染力が水疱瘡並みの変異ウイルスにさらすことが「教育的価値が高い」んだと。米軍爆撃機に竹槍を持って立ち向かえと言ってるのと同じだよね。精神力さえ鍛えれば米軍にもウイルスにも勝てるんだ,という精神主義教育。日本はいまだに戦中なんだね。まあ,正気の沙汰ではないわ💢

 

 こういう戦中の学徒動員みたいな馬鹿げたことを続けていると,今回の東京オリ・パラ大会というのは,1945年の敗戦と2011年の原発事故に続く,三つ目の大きな破局を日本に招いた大事件として歴史に記されるんじゃないか,と思うわけである。

 

 作家の笠井潔は,8・15を真に反省し教訓化しなかった戦後日本の必然的な帰結として3・11が起こったと捉え,これを「戦後史の死角」と指摘している。8・15と3・11には共通して,「空気」の支配と歴史意識の不在を柱とする「ニッポン・イデオロギー」が横たわっていて,それは未だに克服されていない,という。だから,こう予見する。

 

8・15と3・11に続く第三の破局をまぬがれることは不可能だろう。

(笠井潔『8・15と3・11 戦後史の死角』NHK出版新書p.81)

 

 

 この「第三の破局」が,もしかすると今回の東京五輪後に早くもやって来るのではないか,と危惧するわけである。8・15から3・11までは66年の時間的間隔があったが,3・11から2021東京五輪までは10年間で,間隔が短くなった。笠井の議論に依拠するなら,「ニッポン・イデオロギー」という日本固有の思考・行動様式がはびこる限り,いつ破局が来ても不思議ではない。この日本で問題なのは,戦前からいくら時間が経過しても変わらない思想空間である。

 

 8・15の歴史的・思想的意味を批判的に検証することを怠った日本と日本人は,必然的に3・11の破局事故を引き起こし,また2021年には,東京五輪強行開催によってコロナ変異株による感染爆発を日本各地にもたらし,また医療崩壊によって自宅に放置された多くの人々の健康と命を奪っている。

 

 歴史意識が欠如し,空気の支配に無抵抗だった日本の人々は,この無謀な五輪開催に流されてしまった。見たくないものは見ない,深く考えなくても何とかなる,といった特徴を持つ「ニッポン・イデオロギー」は,最悪の事態を想定して準備することが原理的にできない。笠井が名付けた,この「ニッポン・イデオロギー」は,戦前から今日まで一貫して日本人に巣くっていると言っていい。

 

 日本の問題は,「敗北必至」や「自滅的な戦争」という認識を致命的に欠いていた点にある。ニッポン・イデオロギーによる歴史意識の欠如が,その根拠にはある。どのような戦争を戦おうとしているのか,これにかんして適切な認識もなく,十九世紀的な日露戦争に二〇世紀の日米戦争を安易に重ね合わせ,やればなんとかなるという根性論と「空気」の支配で開戦を決定してしまう。

(笠井,同書p.65)

 

 これと同じことが今回の東京五輪にも言えるわけであろう。「敗北」や「自滅」がわかっていて五輪開催に突入したのではない。そもそも,そういう「敗北」「自滅」が必至という認識が欠けているのである。考えたくないことは考えないのがニッポン・イデオロギーの本領だ。

 

 小池都知事は五輪開催前に「ウイルスとの戦いで金メダルを取りたい」とアホなことをぬかしていたが,「五輪を開いても日本人なら大丈夫だ,やれば何とかなる,精神力でウイルスに勝てる」と,何の根拠もなく信じていたのである。ここには対米開戦時と同じ思考・行動様式(=ニッポン・イデオロギー)が見て取れるだろう。何の科学的根拠もないにもかかわらず,都や政府,組織委員会は敵(米国→ウイルス)に勝てると本気で信じている。本気で金メダルを取れると信じ込んでいるところに,本当の怖さがある。

 

 

 そして,何としてもパラリンピックの成功を印象づけるために,子どもたちが生け贄にされる。子どもへのデルタ株感染が国内でも海外でも数多く報告されていても,そんなことは意に介さない。子どもたちが感染して犠牲になるであろうといったネガティブなことは,最初から考えない。最悪の事態を想定しようとしない。見たくないものは見ない。後は野となれ山となれ式の無責任・・・これらが,我がニッポン・イデオロギーの実態だ。もしも子どもたちに取り返しのつかないことが起こったときは,「散華」とか「玉砕」とかいう言葉を使って美談にすり替えてしまえば何とかなると思っているのだろうか。もはや狂気の沙汰,常軌を逸していると言うほかない。

 

 神奈川新聞記者の田崎基さんも,現代の日本に戦前・戦中と近似した構図を読み取り,令和の時代に日本は破滅を迎えるだろうと述べている。政治・経済・社会の現場を取材した経験から得た結論だけに,説得力がある。

 先の大戦で日本は,もはや勝ち目のない戦に突撃し,あがめていた「国体」を失うところまで国家は崩壊し,国土は焦土と化した。

 そして令和となった現在。本書でみてきた通り,日本は国家との戦争ではなく,敵なき敵との戦いに挑み,失策に次ぐ失策を重ね,自滅のときを迎えようとしている

(田崎基『令和日本の敗戦』ちくま新書p.260)

 

 

 この「自滅」=破局のときを東京五輪が一気に引き寄せた。これまでのウイルスとは次元の違うデルタ株が猛威を振るうなか,すでに7月のオリンピック開催時とは感染状況が一変しているにもかかわらず,パラリンピックを強行しようとしている。しかも,そこに子どもたちを大量動員して,「教育」とか「感動」を押しつけようとしているのである。本当にやるべきことがとことんズレている。というか,科学的計算や合理的判断を一切スルーして対米戦争に突き進んだ,あのときと酷似した光景を見ているような気がするわけである。

 

 

 すでにパラリンピック関係者に多くの感染者が出ているし,パラリンピックに医療リソースを集中することで首都圏の医療が一層逼迫することは目に見えている。今やるべきことは,パラリンピックを直ちに中止して首都圏の医療資源を確保し,いち早く医療体制を整えることだろう。どうしてこういう至極真っ当な判断ができないのか――

 

 それはすなわち,先にも書いたように,小池都知事が何の根拠も合理性もないのに本気でデルタ株に勝てると信じ込んでいるからである。17万人もの子どもをパラリンピック観戦に動員しても感染は広がらないと,なぜか楽観している。小池本人は何の不安も疑いもなく,本気で大丈夫だと確信している。本気だから厄介なのである。

 

 科学的かつ合理的に考えれば,敗北必至の無謀な戦いであることは明らかなのに,そういう正常な判断ができない。歴史意識を欠いた「空気」や「精神論」に囚われたままであるから,情勢を客観的に把握して合理的な判断をすることができない。

 

 こういう非合理的で無責任な思考態度というのは,第一の敗戦「8・15」をもたらした根拠の原理的な反省を回避し,敗戦を「終戦」として曖昧化してきた戦後日本社会の必然的な帰結である。いまだに私たちは正確な歴史認識を学び取ることなく,自己欺瞞的で自堕落な「ニッポン・イデオロギー」(空気の支配,非歴史性,泥縄式発想,後は野となれ式の無責任,権威への従順性,集団主義,等々)に安住し続けている。こういう戦前から続く日本固有のイデオロギーや行動様式を対象化し克服しない限り,これからも破局が繰り返されることになるだろう。つまり菅や小池百合子が国や首都のトップでは日本も終わり,ってことだ!