実は,神道そのもののシンボルとなった天皇家もまた,神仏分離政策に翻弄された存在だった。それもそのはず,天皇家自体が非常に熱心な仏教徒であったからだ。
(鵜飼秀徳『仏教抹殺――なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』文春新書p.230)
(鵜飼秀徳『仏教抹殺――なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』文春新書p.230)
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天皇家が非常に熱心な仏教徒であったというのはちょっと言い過ぎなような気もするが,とはいえ,天皇家の信仰が純粋に皇室神道であったとも,もちろん言えないだろう。やはり天皇家も,神道と仏教が混じり合った混淆宗教,神仏習合の伝統にあると見るのが妥当ではないだろうか。
本書は,明治維新時,廃仏毀釈の波が天皇家の菩提寺(京都の泉涌寺と般舟院)にも押し寄せ,天皇家ですら神仏分離政策に抗えなかったことを指摘している。皇室の菩提寺の一つ般舟院は,神仏分離政策によって潰され,現在は京都市立の小学校になっていて影も形もないというから,なんとも哀れな話である。
明治天皇が亡くなる直前に「朕が一生において心残りのことは,即位式を仏教の大元帥の法によって出来なかったことである」と述べた,というエピソードも本書は紹介しているが(p.236),天皇家が純粋な仏教徒であったとは言えないにしても,仏教に篤い信仰心を持っていたことは疑い得ない。
また,天皇の埋葬についても,完全に神道式の土葬になるのは明治天皇以降のことにすぎず,それまでは仏式の火葬と,神道の建前である土葬が混在する形で弔われていた。そして今上天皇も土葬になる予定だったが,天皇・皇后の意向によって火葬にすることになったという(本書p.233)。
明治期,国家神道の成立によって神道のシンボルとして祭り上げられた天皇家であるが,その内側では篤信の仏教家としての伝統や精神が受け継がれていたわけで,その点で国家神道と天皇家とは決定的に矛盾する。そして今も,宮中からは仏教色をほとんど排し,明治期に確立した国家神道の形式(祭祀や儀礼)で即位式をやっている天皇家というのは,廃仏毀釈の影響を未だに被っている最大の犠牲者と言えなくもない。
そういう天皇家の仏教的な背景を踏まえて考えるならば,(近衛文麿が言ったように)敗戦後,昭和天皇は戦争・植民地支配の責任をとって退位,得度して,京都の仁和寺で毎朝読経し,戦争犠牲者を供養するという仏道に勤しむのが,天皇家にとっても日本の民主主義にとってもベストな形であったと,私は個人的に思う。
ともかく,そのように天皇家でさえ逆らえなかった神仏分離政策,廃仏毀釈の流れが明治初期にあったわけだが,掲題の本は,浄土宗の僧侶でもある著者が廃仏毀釈の現場に足を運んで,その痕跡をたどり,かくも激しい仏教迫害・寺院破壊がなされた原因や背景を探る渾身のルポルタージュである。本書は,廃仏毀釈が明治維新の暗部であるというだけでなく,現代にも深い影を落としていることを伝えている。その意味では,日本人の精神構造を作り上げた歴史的契機として廃仏毀釈をとらえた安丸良夫の名著『神々の明治維新』を補う貴重な一冊と言えよう。
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それにしても,なぜ一般の人々やさらには僧侶までもが,一連の神仏分離令に易々と従い,かくも激しい仏教攻撃,寺院破壊を行ったのか。――
廃仏毀釈によって日本の寺院は少なくとも半減し,多くの仏像が消えた。哲学者の梅原猛氏によれば,廃仏毀釈がなければ国宝の数はゆうに三倍はあっただろう,と指摘している。
国の財産が失われただけではない。廃仏毀釈は,日本人の心も毀した。
(鵜飼秀徳『仏教抹殺』p.11)
国の財産が失われただけではない。廃仏毀釈は,日本人の心も毀した。
(鵜飼秀徳『仏教抹殺』p.11)
もちろん明治新政府が国民を一つにまとめるための強力な国体論を必要としていた,という事情は理解できる。そこで水戸学をはじめ神道中心の国体論が注目され,王政復古・祭政一致を掲げて
◆天皇中心の神道国家
を作り上げることが,明治新政府の目標となったわけである。このとき邪魔な存在とされたのが,神道と混じり合っていた仏教であった。
国家神道を確立するために,新政府は神仏分離令を出し,神社に祀られていた仏像・仏具などを排斥。神社に勤めていた僧侶には還俗を迫り,葬式は神葬祭への切り替えを命じた。臣民としての国民には,徹底して皇国史観を教え込み,国家神道を肯定・美化する教育がなされた。
だが,である。このようなお上からのお達しだけで,本書に書かれているような暴虐を,一般庶民が働くことができるものだろうか。新政府が法令として出したのは神と仏の分離だけであって,寺院の破壊を命じたわけではなかった。しかし地方の為政者や庶民が神仏分離を拡大解釈して,いわば自発的に仏教関連施設や仏教的慣習をことごとく破壊していったのである。
廃仏毀釈が人々を熱狂させた要因について,本書では次の四つが指摘されている(p.241~p.243)。
①権力者の忖度(地方の権力者が新政府のご機嫌を取るために過激な行動に走った)
②富国政策のための寺院利用(寺院を学校に利用したり,仏具や鐘を溶かしてインフラ整備に充てたりした)
③熱しやすく冷めやすい日本人の民族性(お上の言うことで簡単に熱狂しやすい日本人)
④僧侶の堕落(廃仏毀釈に迎合した僧侶も少なくなかった)
②富国政策のための寺院利用(寺院を学校に利用したり,仏具や鐘を溶かしてインフラ整備に充てたりした)
③熱しやすく冷めやすい日本人の民族性(お上の言うことで簡単に熱狂しやすい日本人)
④僧侶の堕落(廃仏毀釈に迎合した僧侶も少なくなかった)
いずれも,あの激しい破壊行為をもたらした要因としては,ちょっともの足らない気がする。関東大震災時の朝鮮人虐殺についても,なぜあのような凄惨な虐殺行為に及ぶことができたのか,という似たような疑問を持ったのだが,最近の調査・研究では,朝鮮人虐殺の経験が日本社会に蓄積されていたことが徐々に明らかになっている。
廃仏毀釈でも,篤い信仰が激しい憎悪に転じた歴史的動因や諸契機があったはずである。熱狂に飲まれやすい日本人の民族性という要因は,関東大震災の朝鮮人大虐殺でも指摘されたものだが,そういう民族とか国民といった漠然とした概念を持ち出すことは,廃仏毀釈のような地方によって実態の異なる事件の教訓・総括としては適切ではないし,民族の名の下に再び外国人虐殺や宗教弾圧などの愚を犯すことにつながりかねない。
著者は,人口減少や「僧侶に対する反発」などによって寺院が維持できなくなっている現状を「第二の廃仏毀釈」の前兆現象と見て,危機感を示している。だが同時に,この「第二の廃仏毀釈」現象を,一連の天皇即位の儀式に見られるような
◆国家神道の復活
という文脈で見る必要があるように私は思う。本書に欠けているのは,その視点であろう。短期間で収束した廃仏毀釈ではあるが,国家神道の確立過程ともっと密接した関連があるはずだ。その点を実証的に追究していくことが,現代における国家神道の復活を阻む知的砦となるのではないか。また,本書が出るまで廃仏毀釈の痕跡を全国的に調査した書物がほとんどなかったという事実も,歴史家や研究者が廃仏毀釈という問題をいかに疎かにしてきたかを示しているだろう。そういう知的・学問的怠慢が国家神道や日本会議の台頭を許しているのかもしれないとも思った。
廃仏毀釈の全貌を明らかにするには,民衆の暴力・破壊行為や僧侶の堕落を暴くだけでなく,同時に明治政府による暴力支配の構造をもっと詳らかにする必要があるだろう。国家の圧倒的な暴力を背景に,抵抗する術も意思も持たない人々の破壊衝動が寺院や仏像に向けられたように思うからである…。