樋口陽一と和田春樹 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 樋口陽一さんと和田春樹さんは,それぞれ私も尊敬する憲法学者と歴史家であるのだが,その二人の記事や評論を久しぶりに目にしたので読んでみた。その時に持った感想や意見,違和感を率直にここに記しておきたいと思う。この二人については説明不要と思うが,私個人の思い出を言えば,樋口さんについてはフランス革命200年の年に出た『自由と国家』(岩波新書)に思い入れが深い。立憲主義の考え方や,ドイツと比較したフランスの自由概念のラディカルさなどをこの本で学び,目を開かれた記憶がある。ヨーロッパとの比較の観点から見た日本国憲法論も良かった。ガチガチの護憲主義とは違う,しなやかな自由と民主主義の精神を学んだような気がする。
自由と国家―いま「憲法」のもつ意味 (岩波新書)/樋口 陽一

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比較のなかの日本国憲法 (岩波新書 黄版 95)/樋口 陽一

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 和田さんについても,ロシア革命やソ連ペレストロイカについて多くを学んだ。北朝鮮史については意見が異なるが,それでも緻密な検証作業によって社会主義を世界史の中に位置づける方法は和田さんに多くを負っているし,和田さんが訴える9条平和主義の立場にも共感する。
私の見たペレストロイカ―ゴルバチョフ時代のモスクワ (岩波新書)/和田 春樹

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歴史としての社会主義 (岩波新書)/和田 春樹

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 碩学二人の全盛期を知る者としては,ここ最近の時事的な発言や評論にはやや物足りなさなを感じる。私のような者がこのような大家に物申すのはおこがましいのだが,怖いもの知らずの精神で敢えて書いておこうと思う。


 樋口さんのインタビュー記事は,昨日から中日新聞で始まった連載「象徴天皇と平成」第1回に載っていた。そこで樋口さんは,「昭和天皇がやり残されたことを平成の三十年間で一つ一つ果たされてきた」として今の天皇を高く評価する。確かに現天皇の「平和に対する非常に強い感受性」「憲法順守」の精神は,樋口さんの言われる通りであろう。だが,昭和天皇(裕仁)と今上天皇(明仁)とのそうした断絶・克服関係を強調するだけでなく,やはり明治~昭和~平成と貫く天皇制の連続面もはっきりと言わないといけないと思うのである。すなわち,主権者であれ象徴であれ(「ロボット」的存在であろうとなかろうと)天皇を頂点に据えた国体観念・国家機構が日本の差別構造を支えてきた側面はスルーしてはいけない。差別の根源としての天皇制を今上天皇個人の問題に解消してはならないと思うのである。その点は,「本当は明君がいらないのが国民主権の原則だが,明君に頼っているのが現状です」という発言に樋口さんの苦悩がにじむが,私としてはあえてもう一歩踏み込んだ発言を期待してしまうでのある。私の考えでは憲法1~8条は基本的に要らないが,護憲の論理でやっていくとしたら,1~8条はそのまま残して実質的には空文化し,将来的には天皇制を憲法や政治からフェイドアウトする方向で進むべきだと思う。実際問題このまま皇族を維持していくことはもはや限界であり,今回の退位を機会に天皇位は空位のままでいいのではないか。それが,樋口さんも言うように国民主権の原則に適うやり方ではないか。樋口さんのようなフランス憲法・政治の専門家であれば,日本における共和制の可能性を追求してもらいたいと思うわけである。



 和田さんは,『市民の意見』(2017/12/1)に「緊迫する北朝鮮情勢と日本のとるべき道」というタイトルで論説を寄稿されていた。そこでは,現在の北朝鮮危機の本質が,北朝鮮による安保理決議違反の「挑発」にあるのではなく,朝鮮戦争以来の米朝対立にあること,そして米朝戦争を防ぐには日朝国交正常化交渉がカギになることなどを述べていたが,私も同意見である。米国トランプの言いなりになって,北朝鮮を完全に追い詰める「最大限の圧力」をかけ続けることは,いっそう危機を深め,東北アジアを破滅に導くだけだ。

 そのような全体の趣旨には同意するのだが,論説の最後に突然,オリンピック開催のためにも米朝戦争を防がねばならないというようなことを書かれていたのには違和感を覚えた。そして,「市民の意見30の会」が来年出す意見広告に,「東京オリンピックを開きたい人は,憲法9条を生かして,平和外交で,米朝戦争を防がねばならない」という文言を入れたらどうか,という提案までしている。そんな文言は意見広告に入れる必要はない。和田さんが,どうしてオリンピック開催にこだわるのかが理解できない。東京オリンピックを危機突破のカギと考えているようだが,逆にオリンピック開催となればナショナリズムが過剰に高揚し,戦争やテロ,犯罪などが起こる危険性も高まるであろう。しかも放射能でまみれた東京と日本に,嘘と金で世界の人々を呼び寄せてオリンピックを開くことに,何の罪悪感も危機感も持たないのだろうか。東京はすでに破滅してるか,少なくとも破滅しつつある。そのことに気づく想像力かないとしたら,和田さんも耄碌(もうろく)したとしか言いようがない。東京オリンピックなど百害あって一利なしであろう。今からでも返上すべきだと私は考える。

 人は歳を取れば,いずれ耄碌もするのだろうが,同時に保守的になってしまうのだろうか。生活上,保守的になるのはわかるが,思想・観念や運動においてもラディカルさを失い,保守化してしまうとしたら,なんだか虚しい。碩学二人の直近の意見に触れて,もちろん学ぶことも多かったのだが,なんだか複雑な感慨を覚えたわけである...。