都築響一『ヒップホップの詩人たち』(新潮社) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 前回記事で取り上げた酒井順子さんの『ユーミンの罪』からわかった一つの結論は,東京からはもう何も新しいものは生まれてこないということだろう。「持てる者」からは何もおもしろい価値や芸術は出てこないってことがはっきりしたんじゃないか。いつの時代も,意欲的で刺激的な音楽やファッションは「持たざる者」が持ってくる。

 つまり掲題の書物で都築響一さんが書かれているように,

 いちばんおもしろい音やシャープな詩を書くアーティストは,ほとんどみんな東京じゃなく,地方にいるってこと・・・。(本書「まえがき」より)


 この本に出てくるのは,現代詩人でもなく有名ミュージシャンでもない。ラッパーという名を冠したストリートの無名詩人たち15人。彼らの紡ぎ出す孤高の言葉たちが,この分厚い本にはぎっしり詰まっている。

 彼らのラップは,およそ現代詩とはみなされてはいないし,権威ある文芸誌に載ることもない。だが,そういう現代詩といわれているものよりもはるかに私たちの心を打つ。格好いいのだな。今「格好いい」などという曖昧な表現をつい使ってしまったが,何が格好いいのか。そう,それは東京からの脱却,権威からの逸脱,正しいといわれているものへの懐疑だ。それが言葉のリアリティや強さ,そしてやさしさとなって表れているのだ。彼らを,東京や権力によってすっかり毒気を抜かれてしまったZeebraやKダブ・シャインなどと比べてみればわかるだろう。

 最初の章で取り上げられているラップ詩人,田我流(でんがりゅう)は言っている。

 「だってね,日本の95パーセント以上は田舎なわけじゃないですか。おもしろくないわけと思うんですよね。だからほんとは,アメリカの真似なんかしている場合じゃない。俺の地元はある意味,底辺争いみたいのが始まるぐらいの勢いで,『こんなに問題が山積みでウケるよ,ハハハ』的な状況なんですが,そういうところから,47の各県から田舎ラッパーみたいのがガンガン出てきて,『東京なんかもう終わってるんだよ』みたいな,『この,なにもないところからやってこそクリエイターだ』みたいな。そんな,マジでとんでもないやつが出てくると思うんですけどね。」(本書p.56)


 田我流をはじめ,本書で登場する15人のラッパーたちは私より一回り以上若い連中ばかりだけれど,それぞれが壮絶ハードな半生を生き抜いていた。これらを一気に読み通すのはかなり精神的にしんどい。それほどに重たく辛い過去や癒えない傷を背負って,今を未来に向かって駆けている。そんな彼らの刻むラップにこそ確かな,生きた本物の言葉があると感じた。本書を読んで,地方にこそ,ヒップホップにこそ光があると私ははっきりと確信した。

 札幌,仙台,新潟,山梨,名古屋,広島,福岡,熊本・・・自分がいる場所で自分の音楽をプレイし,それを聴いてくれるオーディエンス,愛してくれるファンがいれば,それでいい。東京に相手にされないのではなく,東京を相手にしないこと。東京にしか目を向けない既存のメディアには,それが見えていない。見えていないから,遅れる。遅れるから,リアリティを失う。リアリティを失ったメディアになにが残されているだろう。(本書「まえがき」より)


 彼らのラップは,地方に暮らす若者のバイブルだ。いや若者だけじゃない。日本の片隅で生き,その地域の現状に打ちひしがれながらも懸命に前を向いて生きていこうともがく私たちすべてにとってのアンセム(=聖歌)にも聞こえるのである...

 以下は,田我流のラップ詩「ICE CITY」より。

 この病んだ状況ここだけじゃねーら
 地方の奴らそっちはどうだ?
 孤立したエリア 光がねーな
 Stand Up とっととこっちから Get Out!!
 おーい 届けてくれ おーい 伝えてくれ
 おーい その目開いてくれ
 冷めた街で生きる俺らの現状

 (中略)

 ダチは言う ここは陸の孤島 諦め覆う 陸の孤島
 田舎から人情なくなれば 残されるのものはシステムと孤独
 そこに巣くうLocalのバビロン
 同じような景色 Dejavu 彷徨う
 MONJUじゃないが Mr.manwhole
 何かが取り憑く場末のDance Hall

 (本書p.59~p.60)

ヒップホップの詩人たち/新潮社

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