山田吉彦(きだみのる)『モロッコ』(岩波新書) | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)


 複眼的な思考でもって世界や文化を立体的にとらえることの大切さを,きだみのるの『モロッコ』を読んで,改めて思い知らされたわけです。それは日本を見る場合も例外ではありません。本書の「まえがき」には,著者のきだとフランスの詩人との次のような対話が紹介されています。

――知ってるかね。占領軍の中にはモロッコの外人部隊にいた連中が何人かいるんだぜ。F大佐もそうだ。憲兵の……
 そういって彼はM・P本部のある三松ビルを見上げた。
――Tiens!
 これは私には初耳であった。占領軍の中に外人部隊にいた幹部将校がいるとは考えたこともなかった。このことは私にいくつかの考えを呼び醒した。
――そうか,
と私は言った。
――してみると占領軍が採用している間接統治という軍政は,案外フランスが創めた奴の流れを汲んでいるのかも知れないぜ。ビュジオが部分的に発見し,ガリエニがピントを合わせ,リテオーがモロッコで実験して素晴らしい効果をあげたといわれているあの統治の仕方だよ。
 私はフランスは共和国であるが同時に帝国(インペリオム)であることを忘れるなといった宰相サロオの言葉を思い起していた。

 (山田吉彦『モロッコ』岩波新書p.ⅲ~p.ⅳ)


 占領軍を進駐軍と呼び,アメリカによる軍政を間接統治という面目のオブラートに包んでしまうことで,未だ占領の本質を見極められない日本人には,占領の背景にさらにフランスが控えていたとは全く想像に及ばないだろう。そして,そのフランスは共和国であると同時に帝国でもあるのだ。日本人のように余白を持たずに一直線に突き進んでいく見方では,世界を構造的にとらえられないし,世界的視野をもって日本を見ることもできないであろう。世界を前に,唯一日本人が得意とするのは闇雲な経済利益の追求だけだ!

 私は,きだ が身体で感じ取ったままに描き出した植民地モロッコの諸相に,日本のさまざまな面を重ね合わせて,いろんな気づきを得るのです。それくらい懐の深い作品である。先日も書きましたが,この70年近く前に書かれた旅行記は,日本のルポルタージュ文学史上に残る傑作であるとともに,私にとっては今もみずみずしさを湛える作品です。次々と新たな発見や驚きに出会う旅をしているような感覚になる。活字がまさに生きていて,道案内をしてくれているようだ。

 ――ベルベル族は新しいことは嫌いです。
と中尉は説明する。
 石鹸があってもやはり昔の儘ででやっているのです。彼等は原始的です。そうそう。新しい事を嫌う明らかな例が一つありますよ。先刻の水道のため土を掘るときも土地の精霊が怒るといって労働者を説得するのに骨が折れたのです。
 ――その考え方は僕等の国にもあります。われわれは家を建てたり何か土地の自然の状態に人工を加えるときには今でも地鎮祭というものをやって,土地と平和条約を結ぶのです。
 Tiens!と中尉は驚きの表情を示す。
 たしかにそこに日本文化の一つの特徴が存在している。日本を観察して帰ったシャドウルンは日本は極東にして極西なる唯一の国なりと述べている。これは日本において極めて古型的な要素が今日なお生活の中に観察されると同時に例えば軽工業や重工業のある部門では欧州と比肩し,或は同じレベルに達していることを指している。この日本民族文化の特徴はすべての原始社会も古制社会も現代型社会も理解し感情し得るということである。何となれば世界の文化はこの極東性と極西性の間にすべて排列され得るのであるから。
 
 (同書p.119~p.120)


 自由を奪われ,固有の文化を蝕まれたモロッコ人の哀しい姿を,二匹の馬の仕草を通してまざまざと描き出した次の場面は,深く胸に残る。

 ・・・無為を楽しむようなこの老人の傍では二匹の痩せ馬が互に手綱を結び合わされたまま呑気に大マンスール王の遺跡に生えた貧しい埃っぽい草を漁っている。ただ轡と轡とを紐で結ばれただけで,一切の反抗の努力を中和されたこの二匹の馬は自由な野原へのノスタルヂーも哀れにも忘れているかのようである。(同書p.31)


 それにしても,今の岩波新書は小物ばかりだが,戦後間もない頃の岩波新書はこういうスケールがでかくて年月を経ても朽ちない作品が多いですな。


〔参考ブログ〕「土人と土民」

モロッコ (岩波新書)/岩波書店

¥886 Amazon.co.jp


※ネトウヨの執拗な付きまといがあるため,今後リブログは中止いたします。何とぞご了承下さい。