オマールの壁@名演小劇場 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 一生とらわれの身になるか,スパイとして生きるか ――
 分離壁で囲まれたパレスチナの今を生き抜く若者たちの青春!



 ずっと観たかったのだが,上映最終日にぎりぎり観ることができた。かなりの衝撃作で,記憶に一生残るような映画だった。最後のシーンには心の中で拍手した。

 分離壁とは,パレスチナとイスラエルとの境界に沿って建てられたものではなく,パレスチナの領土を分断するように建てられた,高さ10m近くある巨大な壁である。両側ともパレスチナ人居住区である。これは,もちろんイスラエルがパレスチナ人を分断し,自らの領土を拡大するために建てたものであり,現在も建設が続けられている。紛いもなく国際法違反である。

 そのイスラエルの暴挙に苛まれるパレスチナの現状を,そのパレスチナの地で,俳優・スタッフ全員パレスチナ人,100%パレスチナの資本で映像化したのが,この「オマールの壁」である。今年の最高傑作であること間違いない。素晴らしかった。ちなみに,最初のタイトル画面の左下に,字幕監修として重信メイさんの名があった。パレスチナの若者の心情を的確に日本語に移せるのは彼女しかいないだろうと思った。彼女もパレスチニアンだ。

 さて,このドでかい分離壁に象徴されるイスラエルのパレスチナ分断工作が,パレスチナの4人の若者を堅く結びつけていたはずの愛情や信頼を引き裂いていく。すなわち,イスラエル秘密警察の策謀によって,彼らは仲間を裏切り,密告者になるよう追い込まれていくのだ。そのさまをサスペンスタッチの巧みなストーリー展開で見せていく。拷問や暴力など目を伏せたくなるシーンも多かったが,衝撃的な結末までテンポよく疾走感をもって描かれていた。社会性・政治性を持った作品でありながら,若者の青春と恋愛を描いた映画としても優れていると思った。青春とか恋愛というには,あまりに苛酷なのだが,社会性・政治性を欠いた青春は,ここパレスチナではあり得ないものだろう。彼らは厳しい現実に立ち向かい,そこでの不条理と闘うことなくしては生きてはいけないのだ。

 主人公オマールの仲間内のスパイが,イスラエルに寝返った理由について次のように告白するシーンがある(セリフは正確ではないかもしれません)。このセリフだけでも,パレスチナ人が自由に生きることを許されない苛酷な現実を感じ取ることができる。

 「海からわずか15キロなのに,生まれてから一度も海を見たことがなかったんだ。」


 もう一つ印象的なセリフに,オマールが吐いた次のような言葉がある。これは,「誰も信じることができなくなった」状況よりも,さらに蝕まれた社会状況を示している。

 「みんなが嘘を信じてしまったんだ。」


 「嘘」とは,イスラエルが仕掛けた罠によるものである。イスラエルが蜘蛛の巣のようにパレスチナ社会に張り巡らせた罠によって,パレスチナ人は信頼や連帯を壊され,「嘘」を信じてしまうようになる。いったい誰が味方なのか,敵なのか。本当の裏切り者は誰なのか,わからなくなる。内面の壁に遮られて,彼らは真の敵を見失いかけている。本当に断ち切らなければならないのは占領であり,真の敵はイスラエルであるのに…。

 そのことに気づいたのがラストシーンなんだと思う。あの最後の銃弾は,占領には決して屈しないというパレスチナ人のメッセージなのだと,私は受け取った。そして同時に,仲間への信頼と連帯の証でもあると思った。だから,この上なく感動したのだ。


 住民どうしを分断し敵対させるこの分断統治は,まさに今の日本でもある。私たちを支配し収奪しているのはアメリカであり,それに従属する日本国家であるのに,私たちは真の敵を見失っていないだろうか。基地問題で沖縄と本土が分断され,沖縄内部でも対立が惹起される。生活保護受給者がバッシングされ,在日の人たちがヘイトスピーチで攻撃され,護憲陣営は内部で対立し,脱原発派は分裂する。それで得をするのは誰か。そういう市民内部の対立を望んでいるのは誰なのか。――

 パレスチナの悲劇や沖縄の悲劇をこれ以上くり返さないためには,当地を占領支配するイスラエル軍や米軍基地の全面撤退しかない。今こそオマールの銃弾でもって本丸を撃ち倒すときだと強く思う。