目取真さんの提訴が問いかけるもの | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)


 一昨日,目取真俊氏が,米軍に8時間近く拘束された件で,国に損害賠償を求める訴訟を起こした(「芥川賞作家・目取真俊さんが国を提訴」)。残念ながら,この件については昨日も今日も,ここらの新聞では扱いがなかった。釈放された際には目取真さんの「一問一答」をのせていた中日新聞も,今回は反応が鈍い。東京都知事さんの豪遊については一面で扱い,沖縄の活動家の不当拘束についてはシカトという,何とも分かりやすくこの国の二重構造というか差別構造を映し出している。本当は,目取真さんの提訴の方が日本の国家の根幹に関わる問題であるにもかかわらず。

 米軍から日本の海上保安庁に身柄を引き渡されるまで8時間近く,目取真さんは米軍基地内で監視状態に置かれ,弁護人を依頼するなどの外部との連絡は一切シャットアウトされたという。本来なら身柄は速やかに日本の当局に引き渡されるべきだが,それがなされなかった。米軍基地内では日本人の自由も人権も保障されないということか。まさに治外法権,主権の侵害である。

 はじめに私が日本国家の根幹に関わると書いたのは,この点である。つまり目取真さんのこの事件は,日米地位協定の方が日本国憲法よりも上位にあるという,この国の隷属ぶり,傀儡ぷりを浮き彫りにした。だから,もっとマスコミには大きく取り上げてほしかったのだが,もはや属国大本営の広報機関に成り下がった日本のマスコミにそれを期待するのは土台,無理な話かもしれない。事件当初は目取真さんを「容疑者」と呼んだ新聞もあった。芥川賞作家を利用した見せしめという面も多分にある。国家主権も報道の自由も人権も,すべて米国に売り渡してしまっているわけだ。米軍に守ってもらっているんだから治外法権はしょうがない,といった卑屈で無責任な態度,人権感覚の麻痺が日本全体に広がっている。それを強く感じているから,目取真さんは国を訴えるという困難な行為に出たのだろう。

 米軍基地内に拘束されたら,警察や海保,外務省,国会議員,弁護士ですら状況確認ができないとすれば,非拘束者の人権はどうやって守られるのか。今回,私が8時間拘束されたことによって浮き彫りになった問題をそのままにしてはいけないと思い国を訴えた。多くの人が考える契機となれば,と思う。
 (目取真俊ブログ「海鳴りの島から」2016/5/12)


 沖縄は戦後の米軍占領時代から治外法権に苦しめられてきた。そして今も米軍占領下と変わらない状況があるわけである。その意味で沖縄は今だ「戦後ゼロ年」であり,沖縄戦は真に終わっていない。沖縄戦に続く占領の継続として現在の沖縄基地はあるからである。

 沖縄基地の撤去という困難な課題を克服することなくして,沖縄戦の真の終わりもありはしない。
 (目取真俊『沖縄/草の声・根の意志』p.133)


 今回の提訴は沖縄基地,日米地位協定,そして戦後日本のあり方を根本的に問うている。これを契機にもっと深く考えていきたい。それから,最後に私の勝手な願望を述べさせてもらうなら,現在は沖縄の状況がそれを許さないわけだが目取真さんには是非いつの日か,また文学で復活してほしいと思う。


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