伊東光晴『ガルブレイス――アメリカ資本主義との格闘』(岩波新書) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 アメリカの経済学者ガルブレイスの業績をたどりながら,リベラルの神髄が語られている。今年読んだ本の中ではナンバーワン。というか,ここ数年で読んだ経済学関係の本では一番よかった。素晴らしい。

 著者の伊東光晴さんは私の最も尊敬する経済学者の一人だが,2012年に倒れて心肺停止になり,奇跡的に一命を取り留めた。身体は不自由だが,今年のガルブレイス没後10年に完成を目指し,自らを鼓舞して本書の執筆に取り組んだという。まずは著者の情熱,知力に敬意を表したい。そして何より本書がこの世に出たことを喜びたい。

 本書は,著者が構想していた新書三部作の最後の一冊。三部作とはすなわち,ケインズでイギリス社会論,シュンペーターでドイツ社会論,そしてアメリカの経済学者でアメリカ論を試みるというものである。前二者は,岩波新書『ケインズ』(1962年),『シュンペーター』(1993年)であった。今回の岩波新書『ガルブレイス』が第三のアメリカ論である。

 すでに『ケインズ』と『シュンペーター』は私の中で「古典」となっていて,イギリスやドイツなどヨーロッパのみならず日本社会を見る上で不可欠な理論的指針となっている。今回の『ガルブレイス』も,アメリカと日本を見ていく上で大切な見方を教えてくれる「古典」になるだろうと思う。

 最近ではリベラルな思想にしっかりと軸足を置いて書かれた本格的な著作はほとんど見られなくなっているだけに,本書が出たことは大変意義深い。リベラルを名乗っていても実は保守的な議論であったりナショナリズムを刷り込むものであったりして,げんなりするばかりの昨今だから。

 本書が目的とするところは,ガルブレイスの生涯や著作を解説することではなく,あくまでガルブレイスの経済学を借りてアメリカ資本主義を論じることである。だからガルブレイスや経済学に関心がない人でも,リベラルに共鳴する人や,アメリカ社会に疑問を抱いている人なら興味を持って読めると思う。前の二冊にも言えることだが本書は,専門家が取り組んでいる問題を専門家以外の人にもわかってもらえるような形で書かれている。といって底の浅い入門書・解説書ではなく,専門家にも問題を投げかけるものになっている。私が「古典」と呼ぶ所以である。

 本書の最大の特徴は,アメリカ的哲学――プラグマティズム――の流れの上にガルブレイスを位置づけたことだろう。プラグマティズムは現実の上に基礎を置き,実証を尊重する。しかし現実は複雑で多様である。その多様な現実が,ガルブレイスの最大の師であった。現実は多様性の中にある。その現実の多様性の中から現代資本主義の特質を引き出していくのが,彼の経済学である。現実に基礎を置く以上,それは多元論となる。

 多元論に対置されるのは一元論である。一元論の代表は,アメリカ社会の底に流れる適者生存・弱肉強食の考え,社会ダーウィニズムである。アメリカではこれが絶対視され,イデオロギーと化している。特に問題なのは,それが経済学というアカデミズムの中にも入り込んでいることである。アメリカの経済学の教科書では,決まって需要曲線と供給曲線が引かれ,その交点で価格が決まるという図が書かれている。その需要と供給が均衡する価格が最も望ましく,それをもたらすのは自由競争である,と。その決まり文句が聖書の言葉のように信奉される。ちなみに日本でもそれは同じである。中高の社会科の教科書にも,この需給・価格理論は必ずといっていいほど出ていて,誰しも一度は目にしたことがあるだろう。

 こういう市場経済一元論の立場からは,需給バランスを乱す政府の政策や社会運動は悪とされる。手厚い社会保障・医療保障,社会資本の充実,教育への公共投資,農業保護,最低賃金制,労働組合の活動などは非経済的で反社会的と見なされる。需給・価格決定理論は,こうして社会ダーウィニズムの支持理論となり,市場競争で敗れた者や貧乏人が社会から切り捨てられるのを自己責任論として正当化する根拠となる。

 以上のように,〈現実と実証を大切にするプラグマティズム〉vs.〈適者生存の社会ダーウィニズム〉という思想的な対立軸が,経済学の中の多元論vs.一元論となり,〈政策指向〉vs.〈市場原理主義〉という対立となって現れる。これが本書の議論の基本軸である。言うまでもなく,ガルブレイスは前者の立場に立って経済学をつくりあげ,現実から遊離している市場経済一元論(新古典派経済学)を批判し,そうして社会ダーウィニズムを葬り去ろうとする。まさにリベラルの神髄が見て取れるのは,この点である。

 アメリカは確かに「ゆたかな国」を創り上げた。しかし,社会一般が物質的な貧困から抜け出た社会における貧困,精神的窮乏,自己搾取は,個々に強い痛みを生んでいる。「ゆたかな国」が同時に「貧困格差大国」になったのはなぜか。それを必然的に生む経済的メカニズムがあるからである。それを明らかにできない経済学は経済学ではない。

 個人の消費活動も企業の生産活動も,アメリカ的な経済学のテキストブックが説くような独立した合理的な行動ではない。個人も企業も多様な行動をとっている。それを踏まえて現実の矛盾を明らかにするのでなくては経済学ではないだろう。ガルブレイスの経済学は明確にそこを志向する「政治経済学」であった。均衡理論一辺倒ではなくて,今こそ,こうした政治経済学が求められているのだと思う。その意味でガルブレイスについて書いた本書の意義は大きいと私は思うのである。

 ガルブレイスは,アメリカの政治・社会の中心軸がリベラルに移った1930年代に,実り多き二十代を過ごし,その初期ニューディールのリベラルで革新的な思想を,生涯を通じて持ち続けた。ガルブレイスの生い立ちについて私は詳しくは知らなかったのだが,本書によれば,ガルブレイスはカナダにおいてスコットランドからの移民の子として農業を生業とする家族の中で育ったという。そこの農業社会では,助け合い結び合うという共同体的関係が成り立っていた。それは,市場だけで結びつくというアメリカ的社会風土とは異質のものであった。こうした原体験が,市場経済一元論や社会ダーウィニズムに対するガルブレイスの批判を支えていると,筆者は指摘している。

 こう見てくると,今後はガルブレイスのような学者は出てこないのではないかとも思ってしまうのだが(特にアメリカでは),しかしそういう悲観的な予測は民主党の大統領候補サンダースの出現を見て覆った。サンダースがガルブレイスをどれだけ意識し,彼からどれほどの影響を受けているのかは定かでないが,サンダースはニューディールの良き伝統を復活させようとしているのだと私は解釈している。民主党の大統領候補に選ばれなかったことは残念だが,アメリカ社会の底にはまだニューディールの革新的な思想が残っていたことを知り,わずかだが希望を感じたのである。一方で,1970年代から80年代にかけてリベラルを離れて右に移動し始めた社会・政治の中心軸は,その後とどまるところを知らずに暴走を続け,その結果が共和党のトランプの登場ということであろう。それはもう絶望でしかない。

 サンダースが唱える「民主社会主義」という構想は,ガルブレイスが掲げた「新しい社会主義」を受け継ぐものであろうし,それは「公共国家」を目指すものである。すなわちガルブレイスによれば,大企業も公共性に基づいた行動が求められる(企業の社会的責任!)。社会問題は,プライベート(私的)な解決によるのではなくて,パブリック(公的)な手段で解決しなければならない!――「アメリカは公的手段による解決への努力が不充分だ」(本書p.174)

 アメリカにおいて社会・政治の軸点が大きく右に移動し,市場優位の考えがはびこった結果,いったい何がもたらされたか。不況,貧困,不平等――「市場原理主義という古き社会への復帰は古き病を生み出すだけであった。」(本書p.125)


 絶えず恵まれない人たちの側に身をおいて考え,世の中を改善していくことに意欲を燃やし続けたガルブレイスの姿勢には,共感を覚えないではいられない。理想を失わないことの大切さも教えてくれる。素晴らしい人生と学問。彼の業績は20世紀最大の知的遺産として残るだろうと私は思う...。

 ガルブレイスが経済学の知的遺産に加えたものは何か。
 経済学を,現実との格闘の場に引き戻し,少数の巨大企業,他方で,その外縁にある多数の個人企業と農業のそれぞれの,"行動様式"と"市場"について「実証的解明」をしたことである。
 それは,個人の合理的行動の上に演繹理論をつくりあげていく既存のミクロ理論の否定である。それによって,プラグマティズムにもとづく有意な政策を示すことで,適者生存の社会ダーウィニズムのイデオロギーを葬ることである。

 (本書p.215)

ガルブレイス――アメリカ資本主義との格闘 (岩波新書)/岩波書店

発売日 2016年3月18日
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