辻村正教『洞村の強制移転――天皇制と部落差別』 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 今日書くことはかなりの反感・反発を招くとは思うけれども,言論の自由が保障されている限り,自らが真実と思うことは書き,追究していきたい。問題は,こういうことを書くこと自体を妨げる動きがあることであり,また自発的にこういうことを書くのをやめてしまう心理が国民の間に強く働いていることである。言論の自由がある限り,触れてはいけない問題,タブーなどあってはならない。まぁ,いつものトンデモだと思って読み流していただければ結構である。


 日本で差別的な発言や示威行動などが問題とされ,批判の俎上に載せられる場合でも,そういう差別の根源に天皇制があるということが,オープンな形で真正面から論議されることはほとんどない。天皇制の存在に気づいていない者は当然としても,そのことの認識を多少なりとも持つ学者や知識人もその点に敢えて触れようとはしない。天皇その人や皇室については一見オープンな報道がなされ,もはや天皇制は人畜無害なもののように見せつけられているけれども,しかし,それは天皇制のいわゆるタブー化がますます深化しているだけの話であって,日本人の中にはいまだに「内なる天皇制」が巣くっているのであり,日本の「一木一草」の中にも天皇制は息づいているのである。日本の人々,民衆が天皇制というものを神聖視し,「聖なるもの」として紡ぎ出していく限り,日本社会の中で差別は永遠になくならないと私は思う。

 護憲派と改憲派との憲法論争を見ていても,一見鋭く対立しているように見えながら,その実,どちらも大枠において天皇制を守ろうという点では合致しているのである。すなわち第一条が憲法論議の対象になることは滅多にない。その意味では,全国民をあげて天皇制下での平等や民主主義という擬制を維持していくことで差別を不断に生み出している,そういう社会・精神構造が日本にはできあがっていると思うのである。だから,その構造を壊すことなくしては差別はあらゆる場面で生み出されるだろうし,したがって差別の根本的解決のためには,差別の元凶たる天皇制の廃止(共和制!)へと進まざるを得ないだろう。と,そんな極論を言っても,すぐに実現できるものでもない。今,必要なのは,天皇制というものをタブーから掬い上げて,自由な議論の場に載せることであろう。すなわち自らの裡にある天皇制をえぐり出し,それを粉砕すること。差別からの解放は,そこから出発するしかないと思うのである。

 日本の歴史において天皇制の対極に位置したのが穢多(えた),被差別部落である。この存在もまた歴史の闇に覆われ,天皇制と同様タブー視されている。この両極のタブーがいかに日本の差別構造を作り出し規定しているか,誰も大っぴらには問題にしようとしない。

 本書で取り上げられている洞(ほうら)村の移転問題というのは,そうした天皇制と被差別部落との関係を直接かつ典型的に映し出した歴史的事件である。

 ところで,日本の歴史上,1925年といえば,普通選挙法と治安維持法という近代天皇制国家の明と暗が同時にくっきりと表れた年であり,歴史教科書にはこの二つの法律は必ず併記されて解説されている。しかし,その同じ1925年に完成を見た洞村の強制移転については,どこの教科書を見ても決して触れられていない。大正デモクラシー(明)の中で進められた洞村の移転(暗)もまた近代日本の矛盾を示す重大な歴史的出来事であったにもかかわらず,歴史の闇に葬られてしまったのである。

 洞村の強制移転とは簡単に言えば,こういうことである。――奈良県の畝傍山の麓にあった洞村という被差別部落が,神聖な神武天皇陵を見下ろす場所にあったことから,畏れ多いという理由で村ぐるみで「強制的」に,それまでより不利な地域に移転させられたという問題である。

 本書で辻村氏は,洞村の移転が天皇制の横暴な権力によって強制されたものであると論じる鈴木良氏の説に反旗を翻し,強制というよりはむしろ「自主的」な献納であったと主張する。ただ「自主的」といっても本来の自主性ではなく,あくまで天皇制に支配された中での「自主性」にすぎなかった。だから,私たちの中にもある「内なる天皇制」を見つめ続けるべきであり,それをえぐり出し破砕する営みの中にしか差別撤廃の道はあり得ないとするのである。この点に関する筆者の意見に私は限りない共感を覚える。


 「洞は穢多の始まり」とまで言われた洞村と天皇制との関係は,この国における天皇制と部落差別の関係を映し出す鏡のようなものであったと思われる。俗なる世界によって畏怖される天皇と,忌避され,恐怖される穢多と。この関係を指して松本治一郎は,「貴あれば賤あり」と喝破したのである。言い換えれば,俗世間の人びとが聖なるものを紡ぎ出しているかぎり,差別はなくならないということであろう。天皇制を不断に紡ぎだし,部落差別をも不断に紡ぎだしている俗世間。その俗世間を天皇制のくびきから解放しない限り,部落解放もまたありえないのである。(辻村正教『洞村の強制移転――天皇制と部落差別』解放出版社p.195)


 多くの洞村民の強い反対にもかかわらず天皇制の暴虐によって移転が「強制」されたというのが真実なのか,それとも辻村氏が言うように天皇制イデオロギーによって骨絡みにされた部落民が「自主的」に土地を天皇=国家に献納したというのが本当なのか。原史料にあたっていない私には何とも言えないが,本書を通読してみて,両者の違いは,天皇制の強権性を強調するか,天皇制の精神的呪縛性を強調するかの,力点の置き方の違いにも思えてくる。両者とも天皇制が差別の元凶であるという点では共通の認識に立っている。そこからは,外からも内からも天皇制によって支配され雁字搦めにされた部落の姿が透けて見えてくる。そして,それは部落の姿であると同時に,大日本帝国の縮図でもあっただろう。その大日本帝国は1945年8月15日,崩壊の危機に瀕したけれども,天皇制は護持された。そして,それによって部落差別も残されたのである。つまり,戦後改革によってさえも,日本の差別構造は何ら変えられなかった。

 「内なる天皇制」,天皇制によって骨まで絡め取られた中における自由・平等――差別問題はこの点の認識から出発しなければならないことを,この本は教えてくれる。

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