石牟礼道子『苦海浄土』~人を守る読書~ | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 著名な作品なので,ここであれこれ書くのも何だか憚られるのだが,今回ちゃんと読んでみて改めて感じたのは,たぶん戦後の文学としては,これ以上のものは生まれてこないだろうなということである。戦後,水俣病的状況を不断に生産し拡散し続けてきた,この国にあって,この作品は古典以上の価値があろうというもの。言うまでもなく,現在も私たちは水俣病的状況から解放されていない。しかも,それは空間的・時間的に拡大再生産されて私たちを覆っている。すなわち,日本の海,山,川,土,空,すべての自然環境が放射能で汚染され,私たちの身体を蝕み,そして,それは未来の世代,何百年,何千年,何万年先にもおよび続ける。戦後は水俣病的状況の拡大再生産の歴史だったのであり,またそれとの戦いの歴史であったのだと思う。そして,それは今,極限的な状況にまで来ているように見える。

 水俣病という特殊な状況を描きながら,現代の状況までも見渡す視野というか,普遍性なるものを,この作品が具していることに気づかざるを得ないのである。それは立派な学者やジャーナリストがすぐれて客観的に水俣病にアプローチして書くものよりも,また反体制的な思想家が国家や独占企業への糾弾と怒りをもって書く文章ともやはり違って,水俣病の実態を読者によくわからせ,説得力を持つ。なぜだろう,と考える。それは,この作品が単なるルポルタージュ,記録文学ではなくて,詩なのだからだな,と思った。読む人は,たぶん誰しも,これほど凄惨,壮絶な患者の実態を描いているはずなのに,なんて美しい文章なんだろうと思うに違いない。読めばとても清らかな印象を受ける。第1部のタイトルに「わが水俣病」とあるように,これは作者自身に語り聞かせる詩を書き綴った作品なのだと,読み進めていくうちにわかってくる。水俣の地に生まれた作者が水俣病を自分の運命として受け止め,患者の呻き,苦しみ,悩み,哀しみを全部自分に背負って,文学に昇華させたんだろう,と。

 水俣という土地,故郷が作者にとっていかに大切な存在であったか,そして,この作品がいかにして詩であるのかを,講談社版の「あとがき」はよく伝えている。


 意識の故郷であれ,実在の故郷であれ,今日,この国の棄民政策の刻印をうけて,潜在スクラップ化している部分を持たない都市,農漁村があるであろうか。このような意識のネガを風土の水に漬けながら,心情の出郷を遂げざるを得なかった者たちにとって,故郷とはもはやあの,出奔した切ない未来である。地方を出て行く者と居ながらにして出郷を遂げざるを得ない者との等距離に身を置きあうことができれば私たちは故郷を再び媒体にして,民衆の心情とともに,おぼろげな抽象世界である未来を共有できそうにおもう。その密度の中に彼らの唄があり,私たちの詩(ポエム)もあろうというものだ。



 今,この文章を読めば誰しも福島のことを思い浮かべるだろうし,戦後,多くの町や村,故郷が多かれ少なかれ「棄民政策の刻印をうけて,潜在スクラップ化」してきた。だから,多くの読者が,「故郷を再び媒体にして,民衆の心情とともに,・・・未来を共有」するための作者の文学的試みに共感するのだろう。


 あと,もう一つ,この作品を読んで強く思ったことがあった。某ブログで四方田犬彦『人間を守る読書』という本が紹介されていて,私はまだ読んでいないのだが,そこには,ジョージ・スタイナーというオーストリア系ユダヤ人の言葉が引用されているという。それは次のようなものらしい。


 野蛮な時代には読書が人間を守る側に立たなければいけない。野蛮で暴力的ではない側に人間を置くために必要なんだ



 『苦海浄土』を読むということ,すなわち水俣の死霊あるいは生き霊の言葉を聞くということは,まさにこれなのだと思ったのである。つまるところ「人間を守る」ことなのだ。『苦海浄土』では,作者が全人生を賭けて語り伝える水俣病患者の声に読者は打ちのめされるのだが,その読書経験が糧となって読者をきっと「人間を守る側」に置く。『苦海浄土』と重ね合わせてみると,読書が「人間を守る側」=「野蛮で暴力的でない側」に人間を立たせるために必要だというスタイナーの主張に凄く共感を覚えたのである。特に,野蛮で暴力的なほどに不寛容な社会になっている現在の日本においては,書物が読まれねばならない。なぜなら,書物には他人が考えていることが綴られているのだから。


 繋がぬ沖の捨小舟 生死の苦海果てもない


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