廣重徹『戦後日本の科学運動』 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…



 数日前に標題の本を読了した。著者の廣重徹さんについては,原水禁運動で有名な物理学者・武谷三男さんの三段階説・技術論の批判者ということくらいしか知らず,ちゃんと著作を読んでみたいと思っていたのだが,それが,幻の名著といわれるこの本でやっとかなった。全体を通して武谷批判といっていい内容だったが,その面は措くとして,それよりも重要なのは,すでに1960年の段階で,日本の科学・技術が独占資本主義の体制に組み込まれつつあることを,冷徹な分析眼で見抜いている点である。そうした現状認識が,武谷をはじめとする,いわゆる進歩的科学者に欠けているというのが,本書で一番言いたいことである。すなわち,民主主義科学者協会も素粒子論グループも,そして共産党も,日本社会の半封建性や天皇制や軍国主義を批判するばかりで(講座派的な社会把握),また日本の植民地化・対米従属を言うばかりで,近代化された独占体との対決を科学運動の課題として全く認識してないとして,容赦ない批判を浴びせるのである。日本の独占資本が自らの要求として科学・技術を自己の体制の中に組み込み運用しようとしていく過程(というか端緒)と,その独占による科学支配という事態に対する科学者の無関心・不感症が,本書で丹念に説き暴かれていた。財界から差し出される金や便宜に何の抵抗も感じずに乗ってきた科学者が,原子力研究やその商業利用に手を染めていく下地(原子力ムラの原型!)は,すでにこの時期にできていたのだなと思ったのである。

 この本の出た1960年と言えば,日本の政府も産業界も学界も,原子力研究・利用へと動き出した,いわば原子力の草創期であり,また池田内閣の所得倍増計画が決定されて,経済成長政策に科学技術(原子力)を従属させていく方向が国からも打ち出された時期である。本書によれば,原子力研究に関する当時の科学者たちの議論は,原子力の平和利用が可能かどうかという点を軸に展開されていて,それに否定的な科学者たちは,武谷さんらが策定した原子力三原則(自主・民主・公開)をその根拠とした。つまり,それが守られないから原子力研究をやるべきではない,という論理である。この三原則を盾とした立場が,原子力行政の野放図な暴走をチェックする一定の役割を果たしたことは確かであろう。しかし,その立場は戦争か平和かという二者択一の枠組みの中では有効ではあったが,必ずしも原子力を原爆製造と直結して考えてはいなかった電力資本をはじめとする独占資本の動向には,全く無頓着であった。だから,その原子力平和三原則が守られる体制を作ることができれば,原子力研究もその商業利用も始めてよいということになり,そういう意味で三原則は独占体の側に科学者がのみ込まれていく道筋をつけたといえるのであった。戦争か平和かという,当時の単純化された議論の中で,反体制側の良心的な科学者も原子力の平和利用という幻想に囚われていたということである。

 そういう中で,反体制の側に立ちながら原子力の三原則に異を唱えたのは,廣重さんくらいではないだろうか。その三原則が原子力基本法では骨抜きにされたことに,武谷さんは憤慨していたが,廣重さんはそれよりも前に三原則そのものを問題視し,原子力の平和利用に対して一貫して懐疑を示していた。そのような廣重さんの態度が本書によく現れていて,感銘しながら読んだ。それは廣重さんの研究態度が,アプリオリな原理による形式的裁断ではなくて,複雑な現実を主体的かつ具体的に分析していくという努力を怠らないものだったからであろう。その姿勢が本書に滲み出ていて,その意味では私のようなド素人が読むより,科学者といわれる人たちに読んで欲しい本である。

 ところで,独占体と政府によって科学者がコントロールされようとしているという現状把握から出発せねばならぬことはその通りだとして,いったい廣重さんは原子力に対して具体的にどう考えていたんだろうか。その辺が本書ではちょっとはっきりしなかった。独占資本主義体制の民主化という方向が抽象的に示されているけれども,その民主化された体制の下では原子力の平和利用は可能と考えていたのだろうか。その点に関して,本書で次のように述べられていることから,民主化された体制の下で原子力研究・開発が行われていくべきだという考えに立っていたのではないかと思われる。


 以上のようであるから,三原則をもって日本の科学者のかちとった世界的な成果だとするような自慢話には,私は賛成できない。じっさい三原則にのっとって,具体的な成果をあげながら研究・開発が進行しているという状態を実現できてこそ,世界的な成果といえるであろうが,いまの日本では,国民や科学者の総意とはまったく離れたところでことが決定され,運ばれており,それに対して三原則を主張する科学者は垣根をへだてて非難をあびせるだけ,という状態になっているではないか。(本書p.224)



 このように廣重さんのようなリアリストで体制批判的な科学者でさえ,究極においては原子力の平和利用という,悪魔の掌の中にいる。その点では,廣重さんが本書で全精力をもって批判した武谷さんと同じ立場である。たとえ現状把握と運動方針で懸隔は見られるにしても・・・。それから,独占資本による科学支配という事態を憂慮するあまり,また,それに無頓着な科学者を批判する意図が強いあまりに,逆に政府やアメリカに対する見方がやや甘くなっているのが気になった。

 現在の地点から50年前の書物をいろいろ批判してもあまり意味はなかろう。大切なのは,独占企業と国家によって科学者の自主性が奪われ,科学研究の自律性が損なわれ,そのことに対して科学者自身が何の疑問も抵抗も覚えずにズルズルと50年経って,最悪の原発事故が日本で起こったということである。今さら,自主・民主・公開の三原則を主張したいのではない。そういう科学者の現実不感症,社会的・政治的無関心は,いつの時代も繰り返されてきたのである。第二次大戦中にしても,科学者はいつの間にか軍事動員体制に積極的に身を投じていったのではなかったか。当時も科学技術の振興が叫ばれ,科学者は引っ張りだこで多額の研究費が支出された。科学者をめぐる状況はその頃と変わっていないだろう。いつの時代も戦争につながっていると短絡して言っているのではない。科学研究が体制側のコントロール下に組み込まれているということが言いたいのである。そのことに対する,科学者の無自覚!そのことが問題であることを,本書は警告してくれている。本書のアフォリズムはその後,科学者の間で生かされてきただろうか。それどころか,むしろ積極的に体制側に奉仕する役割を演じてきたのではないか。

 その点に関して,本書のタイトルにもある「科学運動」なる言葉はもう死語になってしまったのであり,またその実態も皆無だろう。「科学運動」とは,科学と社会をめぐって科学者が主体となって行う運動,といった程度の意味であるが,廣重さんがその言葉の中に込めた思いが戦後の科学者にほとんど受け継がれなかったのを至極残念に思うのである。この「科学運動」を再生させるには,やはり科学者が市民との連携を深めていくよりほかないだろう。市民運動の中で科学運動も蘇生のきっかけを得られるのではないだろうか。その点では,本書に紹介されていた研究用原子炉設置問題が一つのヒントを与えてくれる。当時関西で導入が図られようとしていた研究用原子炉は,日常的利害から発した住民の根強い反対運動によって,4つの村落で悉く設置を阻止された。最後に,その反対運動の性格・意味を,廣重さんが総括している文章を引用しておきたい。


 原子炉設置問題において根強い住民運動の原動力となった放射能危害への恐れといえば,それはビキニ事件以来の科学者の啓蒙活動によって植えつけられたのであった。しかし,だからといって科学者は手放しのうぬぼれに陥ることはできない。関西原子炉の経過はまず第一に,科学者の活動は,いったん一般市民を通過することによってはじめて現実的な力となりうることを示している。つぎに,科学者によって植えつけられた放射能危害に対するおそれは,現実的な姿をとるときには,科学者への不信と結びついて表明されたのである。そしてそれが客観的にみた場合,科学・技術の独占による支配の進行にブレーキをかけているのである。科学者がまずみずから守らねばならないはずの学問の独立は,じぶんでは学問の独立がどうこうというようなことは考えてもいない住民運動によってわずかに守られているのである。この住民運動では,科学者から教えられた放射能危害へのおそれと,科学者に対する根深い不信感とが結びついて,その原動力となっている。私はここに,具体的・現実的な歴史のもつ逆説というか弁証法というか,とにかくきれいな形式論理ですかっと割りきるわけにいかない複雑さをみる思いがする。(本書p.243~p.244)


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