ひろったラッパ | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)


 年は明けたのだが,どうしてもめでたい気分にはなれない。今年は低所得者や年金生活者などの一部庶民は生き続けていくことができなくなるか,そこまでいかなくとも暮らし向きは確実に悪化すると思われる。と同時に,日本の平和主義が大きな試練を迎えることにもなりそうである。そこで今日は,戦争と庶民の生活・生業(産業)との関わりについて書かれた新美南吉の童話「ひろったラッパ」(1935年・執筆)を以下に載せることにした。南吉の作品の中でもマイナーな部類に入るが,昨年の南吉生誕100周年のいろいろな行事の中で,多少注目された作品でもある。先月29日の中日新聞でも,半田支局の記者が取り上げていた。

 南吉の著作権は消滅しており,またウェブの青空文庫にも収められていないようなので,私がつまらん解釈をたれるより,全文をここに掲載する方が有意義であろうと判断した。底本は「半田空襲と戦争を記録する会」編・発行のペーパー。なお,自筆原稿はカタカナの分かち書き・旧仮名づかいであるが,ひらがな・新仮名づかいに替え,一部は漢字にしてある。


「ひろったラッパ」の直筆原稿

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   ひろったラッパ  新美南吉

 まずしい おとこの 人が ありました。まだ わかいのに おとうさんも おかあさんも きょうだいも なく、ほんとうに ひとりぼっちで ありました。

 この おとこの 人は なにか 人の びっくり するような ことを して えらく なりたいと かんがえて おりました。

 すると、ちょうど その ころ、西の ほうで せんそうが おこって おりました。

 それを きいた、この まずしい おとこの 人は、
 「よし、それでは じぶんも せんそうの ある ところへ いって、りっぱな てがらを たて、たいしょうに なろう。」
と、ひとりごとを いいました。

 そこで この 人は、西の ほうへ むかって でかけました。なにしろ おかねが ありませんので、きしゃや じどうしゃに のる ことは できません。むらから むらへ こじきを しながら、二本の 足で てくてく あるいて いったのでありました。 

 「せんそうは どちらですか。せんそうは。」
と、いく さきざきで たずねながら、この 人は ひとつきも ふたつきも たびを しました。

すると、だんだん せんそうの ある ところに ちかずいて きたらしく ときどき とおくの ほうから かすかに たいほうの とどろきが きこえて きました。

 「おお、たいほうの おとが きこえる。なんと いう いさましい おとだろう。」

 おとこの 人は、むねを おどらせながら 足を はやめて いきました。

 そして よるに なってから ねしずまった ひとつの むらに つきました。たいへん しずかな むらで、いぬの なきごえも きこえず、いえいえの まどは みな かたく とざされ、がいとうには ひが ともって いませんでした。おとこは おおはなばたけの そばの、ある くさやねの こやに はいって、ぐっすり ねむりました。

 じぶんが りっぱな たいしょうに なって むねに ずらりと くんしょうを ならべ、ぴかぴか ひかる けんを もって、うまの 上に そりかえって いるゆめを みて いると、やがて よが あけて あさに なりました。

 おとこが めを さまして みると、これは また どうした ことでしょう。めの まえの おはなばたけが、むちゃくちゃに ふみにじられて あります。

 「はて、こんな うつくしい おはなばたけを、だれが あらしたのだろう。」
と、おとこが、たおされた 一本の ケシの はなを おこして やろうと すると、その ねもとに しんちゅうの ラッパが ひとつ おちて おりました。

 おとこは ラッパを みると、はなを おこして やる ことも わすれて、
 「ああ、これだ。これさえ あれば、じぶんは てがらを たてる ことが できる。じぶんは ラッパしゅに なろう。」 
と、たいへん よろこびました。

 ところで その むらは、あさに なっても だれも おもてに でて くる ものは なく、まどさえ あけないので ありました。けれど、おとこは うちょうてんに なって いましたので、そんな ことは きにも かけないで、いさましくラッパを ふきならしながら また あるいて いきました。

 おとこは、ちょうど おなかが すいて きた ころ、また ひとつの むらに はいりました。

 その むらにも,人は あまり いませんでしたが、まだ すこしは のこって おりました。

 そこで、おとこは ある いえの まどしたに たって、
 「おなかが すいて、しょうが ありません。なにか たべさせて ください。」
と たのみました。

 いえの なかには ふたりの としよりが いて ちょうど 一つの パンを 二つに きろうと して いる ところでしたが、はらの すいた おとこを きのどくに おもって パンを 三つに きり、その ひときれを おとこに めぐんで やりました。

 「あなたは、これから どちらへ いくのですか。」
と、しんせつな としよりは、わかい おとこに たずねました。

 「これから、せんそうに いくのです。わたしは、ラッパしゅに なって りっぱに はたらきます。」
と、わかい おとこは こたえて、としよりたちの まえで いさましく ラッパを ふいて きかせました。


  とて とて とて と、
  みな みな あつまれ、
  けんを もて。

  とて とて とて と、
  てっぽう かつげ、
  はたを もて。

  とて とて とて と、
  それ それ いそげ、
  せんそうへ。
  とて とて とて と、
  とて とて とて と。


 と、おとこは ふきました。

 きいて いた としよりは ふかい ためいきを ついて、
 「せんそうは もう たくさんです。せんそうの ために わたくしたちは はたけを あらされ、たべる ものは なくなって しまいました。わたしたちは、これから どう したら よいでしょう。」
と,いいました。

 おとこは、としよりと わかれて、なおも あるいて いきますと、なるほど あの としよりが いったとおり、はたけは たいほうの わや、うまの あしで すっかり あらされて ありました。

 どの むらにも あまり 人は いないで、のこって いる 人びとは、みな あおい やつれた かおを して おりました。

 おとこは この 人びとが きのどくに なりました。そこで、もう せんそうに いくのは やめに しました。

 「そうだ、この きのどくな 人びとを たすけて やらねば ならない。」

 おとこは、あちら こちらの むらに のこって いる 人びとを ひとところに あつめました。

 「みなさん、げんきを だしなさい。げんきを だして、ふみあらされた はたけを たがやし、むぎの たねを まきましょう。」
と、おとこは 人びとに いいました。

 人びとは、げんきを だして はたけで はたらきはじめました。

 あさ いちばん はやく おきるのは、あの おとこで ありました。まだ 日のでないうちから、おとこは はたけの まんなかの おかの 上に のぼってラッパを ふくので ありました。


  とて とて とて と、
  みな みな おきろ、
  もう あさだ。

  とて とて とて と、
  くわをば もって、
  はたに でろ。

  とて とて とて と、
  たねをば まけよ、
  ムギの たね。

  とて とて とて と、
  とて とて とて と。


と、おとこは ふいたので あります。

 すると、人びとは、うまや うしと いっしょに、はたけに でて きて、せっせと はたらきました。

 やがて、まいた たねから めが でて、のはらいちめんに ムギの みのる ときが やって きたので あります。

(おわり)

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