前回の続きで,ジョーン・ロビンソン『マルクス経済学についてのエッセイ』の「第1章 序論」拙訳。
正統派経済学者は,瑣末な問題についての優雅で精巧な理論化にふけるばかりで,そのことは彼らの後継者の関心を,近代世界の適合的でない現実からそらせてしまった。そして抽象的な理論の発展は,経験的な証明についてのあらゆる可能性よりはるかに先に走っていってしまった。マルクスの用意した知的な道具は彼らのものよりはるかに粗雑だけれども,彼の現実感はずっと強く,彼の理論は偉大な荒っぽさと憂鬱をもって,正統派の複雑な構造物の上の方に高く聳えている。
マルクスは資本主義体制を,協業および分業の生産力を引き出すという歴史的使命を果たすものとして見ている。資本主義はその栄養分を見つけるために,ヨーロッパでのその誕生地から世界中に触手を伸ばした。それは資本蓄積を強力に押し進め,生産技術を発展させ,そしてこれらの手段によって人類の富を,小農民経済や封建経済,あるいは奴隷経済では夢にも思われなかった高さにまで高めたのである。
しかし,資本主義の強制の下で富を生産する労働者は,彼らの生産力の向上からは少しも利益を得ない。すべての利益は資本家階級に生じる。なぜなら,大規模な企業の能率は農夫や手工業者の競争を破壊し,そして資本家階級に加わるのに十分な財産を持たない者をすべて,単に生存のために自らの労働を売らなければならない状態に陥らせる。資本家が労働者にするどんな譲歩も,農夫が家畜にする譲歩,すなわち家畜をもっと多く働かせるためにもっと多く餌をやるという譲歩と同じである。
生存のための闘争は労働者を団結させ,有産階級に対抗させるが,他方で,はるかにより大きな企業への資本の集中は,技術の発展に強いられて,資本家を独占という反社会的実践に向かわせる。
しかし資本主義体制の批難は,それへの道徳的反感だけに基づくものではないし,その最終的破滅が不可避であることは,労働者が彼らの労働生産物の正当な分配を確保しようという決意だけに基づくものではない。その体制は,崩壊に至らざるを得ない矛盾をその内部に含んでいるのである。マルクスは景気循環における周期的恐慌を,その体制の生命維持器官における抜き差しならない進行中の病気の徴候として見ている。
マルクスの時代以来行われてきた経済分析の発展によって,私たちはマルクスの恐慌論における三つの顕著な思考の要素を見つけることができる。第一に失業労働の予備軍の理論であり,それは,労働に雇用を提供する資本の蓄えと雇用に提供される労働の供給との間の関係によって失業というものが如何に変動しがちであるかを示している。第二に利潤率低落の理論であり,それは,資本家の蓄積欲というものが資本の平均収益率を低下させることによって如何に自らの愚かさを曝しているかを示している。そして第三は資本財産業の消費財産業に対する関係であり,それは,社会のますます増大する生産力が労働者の貧困によって設けられた消費力の制約にぶち当たるのを示している。
マルクスの考えの中では,これら三つの理論は峻別されてはおらず,資本主義体制がそれ自身固有の矛盾に苦しめられ,それ自身の崩壊の条件を生みだしている一枚の絵の中に融合している。
一方で,アカデミックな経済学者はマルクスにあまり注意を払わなかったが,現代の経験によって正統派の擁護論の多くに疑いを抱かざるをえなくなった。そして近年のアカデミックな経済理論の発展によって,彼らはいくつかの点で彼らの知的先達の立場よりもマルクスの立場に極めて近く類似した立場にたどり着いた。現代の不完全競争の理論は,形式的にはマルクスの搾取理論とは全く異なったものではあるけれども,それと著しい類似性を持っている。現代の恐慌理論は,上で区別したマルクスのその主題に関する第三の議論の線と多くの接点を持っており,また第一の線と類似するものに対して余地を与えている。第二の議論の方向――利潤率の低落――だけは混乱し余計なものように見える。
一般にマルクスの思想の悪夢的な特質は,この悪魔に取り憑かれた時代において,正統派の学者の穏やかな自己満足よりも大きな現実性を持った様子を与えてくれる。それにもかかわらず,同時にマルクスは正統派の学者よりも一層私たちを勇気づけてくれるのである。なぜなら彼は,パンドラの箱から恐怖とともに希望も解き放つからである。一方,正統派の学者は,すべてが望みうる最高の状態で最善である(天道人を殺さず)といった憂鬱な学説を説いているだけなのである。
しかし,マルクスは正統派の経済学者よりも多くの点で,現代人に対して同情的であるけれども,多くの人がそれを求めたようにマルクスを霊感を受けた預言者に変えてしまう必要はない。彼は自らを一個の真面目な思想家と見なし,そして私が以下のページで扱おうと努めたのは,一人の真面目な思想家としてである。
次の五章は,現代のアカデミックな経済学者の観点から見たマルクスの理論の概略を含んでいる。第七章は,彼の理論を正統派の学説と比較している。第8章と第9章は,雇用と不完全競争の理論について,現代のアカデミックな学説が正統派から離れてマルクスの方向に向かった動きを示している。第10章は,賃金について,その動きが反対方向に向かっている問題を論じており,そのためマルクスがこの場合だけは,現代の観点から見て正統派の陣営に入っているかのように見える。第11章は,三つのすべての学派が未解決のまま残している問題を手短に列挙している。
なお参考までに,本書の第2章以下の章立てを下に紹介しておく。
第2章 定義
第3章 労働価値論
第4章 雇用の長期理論
第5章 利潤率の低落
第6章 有効需要
第7章 正統派の利潤論
第8章 雇用の一般理論
第9章 不完全競争
第10章 実質賃金と貨幣賃金
第11章 動態的分析
付録 価値論
******************************
※パソコン用ペタこちら↓↓↓
※携帯用ペタこちら↓↓↓
※メールはこちらまで!eijing95@gmail.com


