日本独特の国家主義~天賦国権・国賦人権~ | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 おそらくは韓国併合や大逆事件を背景に若き日の河上肇が書いた論説「日本独特の国家主義」(1911年)を読んでいると,それは約100年後の現代および近い将来の日本と遠く呼応しているように思える。以下,『河上肇評論集』(岩波文庫)より引用。


 余の見る所によれば,現代日本の最大特徴はその国家主義にあり。・・・日本現代の国家主義によれば,国家は目的にして個人はその手段なり。国家は第一義のものにして個人は第二義のものなり。個人はただ国家の発達を計るための道具機関として始めて存在の価値を有す。・・・しかるに西洋人の主義は,国家主義にあらずして個人主義なり。故に彼らの主義によれば,個人が目的にして国家はその手段たり。個人は第一義のものにして国家は第二義のものなり。国家はただ個人の生存を完(まっと)うするための道具機関として始めて存在の価値を有す。(p.35~p.36)


 西洋にありては人権が天賦にして国権が民賦たりといえども,日本にありては国権が天賦にして人権は即ち国賦たり。西洋にあっては人命を重んじ人格を尊ぶことが日本人の想像の外にあるが如く,日本にあっては国権を重んじ国家を尊ぶことがまた西洋人の想像の外にあり。日本にあっては,個人が個人として独立の人格を有すという観念すこぶる乏し。極端に言わば,日本人には元来人格の観念なし。(p.37)


 西洋にあっては個人が個人の利益を主張するということが権利なり。権利のことは英語にてライト(right)という。而してこのライトという語は元と公道正義の意を有し,ロング(wrong)即ち罪悪不正の意を有する語と相対するものなり。・・・しかるに日本の如き国家本位の国柄においては,権利の主張は決してかくの如き道徳的価値を有するものにあらず。故に英国のライトという語も,日本に訳されては権利という語となる。権は権道の権なり,利は私利の利なり,故に権利なる語そのものに本来道徳的含蓄なし。・・・日本においてはかかる事は決して正義にあらずして,ただ義勇奉公ということが最上の道徳なり。故に西洋を権利国といわば日本は即ち義務国なり。・・・日本人の眼中脳中心中最も高貴なるものは国家を措いて他あらず。故に日本人は国家のために何事何物をも犠牲にすといえども,何事何物のためにも国家を犠牲とするを肯(がえ)んぜず。(p.39~p.40)



 河上はこの日本の国家主義を必ずしも批判的に捉えているのではない。「吾人はこの国家主義を善導せんことを熱心に希望するが故に,これを邪路に陥れんとする者に熱心なる反対をなす」(p.59)としてアンビバレントな態度をとり,国家主義を利弊両面(強き国家と弱き個人)で捉えようとしている。

 さて今日,その国家主義の弊害は是正され清算されているだろうか。むしろ,そのwrongな面がはびこり国家主義は「邪路」に陥っているのではなかろうか。―――かつて「美しい国」を唱えた政治家が言う「取り戻す」とは,一体誰が(主体),何を(目的),取り戻すのだろうか・・・天賦国権・義務国を究極的に押し進めたところの国家主義!

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