昨日で9.11米中枢同時テロからちょうど10年になった。2001年,明るい新世紀の幕開けを予想していた世界は,9月11日,震撼した。時のブッシュ政権は「テロには屈しない」と宣言し,テロとの戦いと称し,アフガニスタンに干渉し,そして満を持して,何の大義もないイラク戦争へと突き進んだ。大量破壊兵器など何もなかった。同じように泥沼化した20世紀のベトナム戦争には,冷戦という世界情勢の中で共産圏の拡大阻止というアメリカなりの大義があった。しかし,21世紀に入ってのアメリカの軍事行動は,同時テロへの報復・復讐以外の何物でもなかった。今回の戦争でアメリカが費やした戦費は,ベトナム戦争の2倍にも相当する,という計算もある。アメリカの経済を疲弊させた原因の一つは,間違いなくこの報復戦争だ。さらに,この不毛な戦争の中で,どれだけの尊い人命が失われたか。犠牲者の数だけを数え上げても,あまり意味はないかもしれないが,あえて数字を出そう。新聞によれば,米兵の犠牲者は,イラクとアフガンの両戦争で6千人を超える。イラク兵は約1万人,アフガン武装勢力は約2万人が亡くなった。やりきれないのは,罪なき民間人の犠牲者がイラクで約12万5千人,アフガンで約1万4千人にも上っていること。中枢テロの犠牲者,約3千人の何倍に当たるのか。
数字だけでは真実の一面しか見えてこないから,もう数字の議論はよそう。アメリカはこの戦争で何を得たのか。アルカイダの指導者ビン・ラディンは確かに殺害した。それでテロとの戦いに勝利したと言うのか。僕には失ったものしか見えてこない。
アメリカのブッシュ政権は,人類史にとてつもなく大きな汚点を残した。すなわち,暴力をより大きな暴力で解決しようとしたことで,民間人を含め膨大な数の人間の命を奪い,戦地の人々の生活や文化,経済を粉々に破壊したことだ。イスラム原理主義組織による中枢テロはもちろん許されるものではない。しかし,それを何十倍もの軍事力によって報復に出たアメリカの行為も,決して許されてはならない。この暴力のスパイラル・拡大再生産が人類史上でいかに大きな過ちであったかは,いずれ歴史が審判を下すに違いない。過ちをより大きな過ちによって解消しようとした過ち。
アメリカが軍事力によって為し得なかった中東の民主化が,その内部(民衆)から発生したのは歴史の皮肉というほかない。軍事的暴力にもとづく恐怖政治や独裁政治が,より大きな暴力によらずとも,平和的に打倒・改革(革命)できることを中東諸国の市民が示してくれた。
この10年の歳月は,20世紀に起こった第一次大戦と第二次大戦を合わせた年月におよぶ。人類が戦争にまみれた20世紀の反省に立って,21世紀は平和の世紀にしようと皆が願ったはずだった。しかし新世紀の最初の10年は,戦争・テロ・内戦など争いの10年だった。日本も多かれ少なかれ,その戦いに加担した。
さて,次の10年は…と考えていた矢先に,3.11の大震災とそれによる原発事故が起こった。新たな戦争の始まりであった。平和的利用と謳われていた核が,震災を境に一瞬にして牙を剥いて,われわれ人類に襲いかかってきたのだ。すなわち,見えない核との戦い。それは10年,20年で済むものではない。いま生きている人たちがおそらくは一生をかけて闘っていかなければならないものだ。人類は一度犯した過ちを忘れ,より大きな過ちを犯した。つまり,人類は一度,原爆という核の惨禍を経験したにもかかわらず,懲りずに,より大きなエネルギーを持った原発を開発,稼働させ,再び核の被害を受けた。規模と時間幅に差はあるが,アメリカのブッシュがやったことと本質的には同じだ。過ちをより大きな過ちによってすり替えようとした結果,チェルノブイリが起こり,福島の事故が起き,人類史上,拭うことのできない甚大な被害をもたらした。国と国,あるいは民族と民族とが,武力をとって対立・闘争するという意味での戦争ではない。敵は見えないが,確実に人類とは敵対している。少なくとも,この過ち(原発事故)を,より大きな過ち(原発再稼働・プルサーマル)によって解消しようとすることだけは避けねばならない。
一つの望みは,鎌田慧さんや大江健三郎さんらの呼びかけによる,9.19の「さようなら原発・5万人集会」(東京・明治公園)。
もう一つの希望は歌。「ニューヨーーーク」と歌うアリシアの歌声はまさしく鎮魂歌だ。歌がある限り,私たちは人の心を忘れない。人の心を忘れたときに悲劇は起こる。
Alicia Keys 「Empire State Of Mind (Part II)」←今日のところはJAY-Zのラップはどうでもよいので,アリシアのソロ・ヴァージョンをアップした。

