死者の名こそを | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 3・11の震災で多くの人が思い知らされたのは,津波の恐ろしさだろう。岩手県宮古市にある巨大な防潮堤は総延長2.4km,海抜10mもあったが,津波は,その一部を大きく破壊し,それを軽々と乗り越えていった。津波の高さ(遡上高)は何と37.9mにまでも達していたという。そして,約1600戸と多数の住民を根こそぎ押し流した。

 前も書いたことだが,同時に,この巨大津波は,3・11以前にあった日常の言葉もさらっていった。瓦礫がれきと化した被災地とともに,今後,言葉や文学,言論はどう再出発しようというのか。3・11以降,「がんばろう」「復興」「元気を」・・・といった言葉がメディアに躍るが,荒廃し変わり果てた街の様子を前にしては,空々しく聞こえてならない。壊滅した故郷,2万7千人を越える死者・行方不明者へのメモリーから生まれ,それとともに歩んでいく言葉を,嘘っぽい言葉に代えて,私たちは探り見つけていかねばならないのだろう。

 そんなことを考えていた折,今回の震災の正式名称が政府によって「東日本大震災」と決められた。この名は今後,限りなく使われ,歴史に刻まれる言葉となるだろう。一方,震災後に発見された遺体の4人に1人が身元不明のまま埋葬されているというニュースも聞いた。墓標に刻まれることのない死者の名こそを,名もなき死者の思いこそを,私たちは心に刻まなければならない。そこから,3・11以後の新しい時代の,新しい言葉がきっと見つかると思うのだ・・・

 下は先日(3/26),中日新聞に載っていた歌。

 教科書へ書かれる「東日本大震災しんさいめい」よりも書かれることなき死者の名こそを
大野道夫



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