糸瓜忌 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 糸瓜(へちま)咲て痰(たん)のつまりし仏かな

 痰一斗(たんいっと)糸瓜の水も間に合はず

 をととひのへちまの水も取らざりき



 上の三句は,正岡子規が死の数時間前,病苦の底で書き残した,いわゆる絶筆三句である。どれもヘチマの句だったので,ヘチマ三句と言われ,このことから子規の命日は「糸瓜忌(へちまき)」と呼ばれる。今日9月19日がその「糸瓜忌」。子規の生き方に思いを馳せてみる。子規は死の直前まで,自分の身近にあるもの(ヘチマ)を歌にし,自らの悟りに従って「平気で」生きた。すなわち,子規は死の数ヶ月前,悟りについて次のように語っていた。


 余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。
 悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも平気で生きていることであった。

 (「病床六尺」より)


 「平気で死ねること」ではなく,「平気で生きていること」こそが,悟りの境地であった。死を目前にしても,平気で生きていること。あくまで人間とは命を持った生き物であるから,その命の側からの悟りである。命や生の延長として死を捉え,その命や生をこれまで通り,ごく普通に,「平気で」生きる。これこそが悟りであった。悟りとは死を恐れず,いつでも死ねるという,いわゆる仏の境地のことではない。いつ,いかなる時でも平然と,淡々と生きていること。ここに子規の悟りがあった。

 子規は結核の激痛にさいなまれていたが,そのさなかにこんなことも言っている。

 宗教家らしい人は自分のために心配してくれていろいろの方法を教えてくれる人があるが、いずれも精神安慰法ともいうべきもので、一口にいえば死を恐れしめない方法である。
 その好意は謝するに余りあるけれども、見当が違った注意であるから何にもならぬ。今日の我輩は死を恐れて煩悶しているのではない。

(「病床苦語」より)


 子規は死を恐れているのではない。死の恐怖によって,もがき苦しんでいるのではない。生きているから痛いのである。痛みは生きている証拠である。最初の句にしても,仏が何を意味しているのか定かではないが,ヘチマが生きていることや痰のつまった子規自身を句にしていて,いずれにしても最後まで生の側から文学をしていることは分かる。結核の薬効があるとされるヘチマが身近にあった最期の日常をさらりと句にしているところが,悟りの心境を示している。「平気で生きていること」――――子規から学んだ,この悟りは,簡単に至れる境地ではないが,そこを目指して精進するに値する究極の価値だと,今日の日に改めて思う。

2010年 糸瓜忌



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