沖縄「慰霊の日」 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 昨日6月23日は,いわゆる沖縄戦で沖縄守備隊が壊滅した日。65年目の「慰霊の日」であった。

 沖縄戦を体験した世代の高齢化が進み,当時を知る人はいまや少なくなった。沖縄戦の体験継承は私たちに課せられた重要な課題。それは,沖縄を取り巻くさまざまな問題を解決していく上で常に心に刻んでおかねばならぬこと。日本の平和や繁栄は沖縄の犠牲の上に成り立っていることは明らかなのだから。アメリカがアフリカ系の人々の労働によって繁栄を築いたのと同じように。

 沖縄戦では20万人以上が亡くなったといわれている。しかも,その半分近くが民間人であった。特に中学生や女学生などの若い人たちが守備隊や看護婦として動員され,命を失った。沖縄守備隊による住民殺害事件もあった。とりわけ沖縄戦の悲劇を象徴するのが「ひめゆり学徒隊」。彼女たちは追いつめられた極限状態の中,飢えや集団自決などで亡くなっていった。

 そのひめゆり隊の1人で,当時16歳だった人の声を,昨日テレビで聞くことができた。アメリカ兵に捕まった時に隠し持っていた手榴弾を抜こうとしたが,アメリカ兵に取り上げられ自害を阻止されたというような,生々しい話をしていた。また,同じ学徒隊の先輩たちがアメリカ兵に殺されていくのを目の当たりにしたことも話していた。死を覚悟した時に仲の良い友人が「ふるさと」(うさぎ追いし かの山~)の歌を歌っていたということを,涙を浮かべながら話していたときは,観ている方も涙が出そうになった。今も癒えない心の傷を私たちに伝えてくれたことに心から感謝したい。

 こうした戦時体験者の話から私たちは何を学ぶのか。私たち一人一人が考えなければならない。日本人は常に沖縄の人たちを犠牲にして生きてきた。事実,太平洋戦争において,日本の軍部指導者にとって沖縄は,本土を守るための「捨て石」であった。歴史的に見ても,17世紀の「琉球処分」以降,沖縄は絶えず日本に利用され,日本の身代わりにされ続けている。戦後のアメリカ支配は第二の「琉球処分」と言ってもいい。普天間移設問題も同じ根を持つ。沖縄を切り捨てることによって私たちは平和と自由を享受していることを,この「慰霊の日」に改めて,痛みを覚えながら思う。なお,昨日,記念碑「平和の礎(いしじ)」には80人が追加刻銘されたという。

 余談だが,昨日のテレビでひめゆり隊の人への取材を綾瀬はるかがやっていたが,ほとんど話もできず,ちょっといただけなかった。何の予備知識もなく,ただ話を聞いていただけのような感じだった。視聴率アップのためにテレビ局も大変なのだろうが,もう少し適任の人を当てた方がよかったような気がする。筑紫哲也が生きていた頃は,彼は自ら沖縄に乗り込んで取材していた。彼の沖縄へのこだわりは,ジャーナリスト魂を感じさせるものだった。最近はジャーナリズムも若い女優に頼らざるを得なくなったのかな,とふと感じた。少し余計なことを書き過ぎた。失礼!

 平和の礎
えせブログ~自由への散策~

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ひめゆりの塔
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①Damian Marley feat Nas 「Road to Zion」


②Nas feat Chrisette Michele 「Can't Forget About You」


③Nas feat Chris Brown & The Game 「Make The World Go Round」


 ↑ ナズのミニ特集。やっぱりナズは天才だね。リアル・ヒップホッパー!生きるレジェンドだ!!





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