
「人の年老いていくことを、だれか成長と考えるか。老は成長でもなく退歩でもない。ただ『変化』」である」
萩原朔太郎詩集『桃李の道』より。
ある程度の年齢を重ねたものとしては、長く生きていることで経験や知恵が積み重なって、それなりに成長したと思いたいもの。しかし、周囲や年長者を冷静に見ればすぐわかるように、人間は歳を取れば成長するとは限りません。かといって、衰えた部分にだけ目を向けて嘆くのも寂しい話です。
〈ただ「変化」である〉という朔太郎の言葉を噛みしめて、少しずつ我が身に訪れる心や身体の変化を楽しみましょう。
【おとなのマガジンより】
桃李の道
――老子の幻想から
聖人よ あなたの道を教へてくれ
繁華な村落はまだ遠く
鶏(とり)や犢(こうし)の声さへも霞の中にきこえる。
聖人よ あなたの真理をきかせてくれ。
杏の花のどんよりとした季節のころに
ああ 私は家を出で なにの学問を学んできたか
むなしく青春はうしなはれて
恋も 名誉も 空想も みんな楊柳の牆(かき)に涸れてしまつた。
聖人よ
日は田舎の野路にまだ高く
村村の娘が唱ふ機歌(はたうた)の声も遠くきこえる。
聖人よ どうして道を語らないか
あなたは黙し さうして桃や李やの咲いてる夢幻の郷(さと)で
ことばの解き得ぬ認識の玄義を追ふか。
ああ この道徳の人を知らない
昼頃になつて村に行き
あなたは農家の庖廚に坐るでせう。
さびしい路上の聖人よ
わたしは別れもはや遠くあなたの沓音(くつおと)を聴かないだらう。
悲しみしのびがたい時でさへも
ああ 師よ! 私はまだ死なないでせう。
『史記』列伝の李将軍の賛にある、徳のある人間のもとには自然に人が集まることを例えた「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」という表現も念頭に置いているのだろうが、慕わしくまた懐かしい人物として老子が描かれているのは興味深いことです。