沖縄「慰霊の日」 | motoの徒然なるままに…Ⅱ

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日々是好日日記
2006年9月:gooブログでスタート
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集団自決教科書軍命削除修正問題で検定の在り方が問われてます。あれから62年、もはや戦後ではないどころか、心の荒廃がすすんで、今がある意味で陰湿な戦争かも知れません。「戦後レジームからの脱却」と称して、絶対に風化させてはいけません!沖縄県議会の「強制」削除撤回を支持します!
毎日新聞の検証記事に掲載されてありました集団自決体験を一部紹介します。

3月27日朝、渡嘉敷島に米軍が上陸した。当事15歳の小嶺正雄さん(77)は防衛隊員の誘導で壕から出た。土砂降りの雨。隊員が落とした2個の手榴弾を拾うとこっそりポケットにしまった。翌日たどり着いた谷で惨劇は始まった。「天皇陛下、バンザーイ」。悲痛な叫びの後に、手榴弾が炸裂し始めた。「殺してくれえ」。うめき声が響く。やがて男たちは女性や子供に鍬や斧を降り下ろした。
16歳だった牧師、金城重明さん(78)の目に、木の枝で妻子をめった打ちにする阿波連区の元区長の姿が飛び込んだ。手榴弾で爆死できなかった住民らは、あらゆる手段で死のうとした。金城さんと2歳上の兄は、直径20センチ大の石を拾うと最初に母を手にかけた。続いて9歳の妹と6歳の弟。2人には。ひもを使ったのか、棒を使ったのか覚えてない。「殺意はなかった。愛している者を生かしておくのは残酷だと、愛情ゆえに殺したんです」

まさに狂気です。この地獄絵で今もトラウマになっている方々は多いことでしょう。小生はこの文を読んで。クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」の自決シーンが目に浮かんできました。これらはすべて事実なのです。今日という現在は過去の積み重ねであります。明日は今日の積み重ね。どうか、この沖縄の惨劇をしっかりと焼き付けておくべきです。ひめゆりの塔も…。