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Numberより http://number.bunshun.jp/articles/-/203171

片田舎の公立進学校が、初の甲子園出場を決めた…野球より学業が優先され、練習時間は極端に短い…当初、惨敗を重ね続けた弱小チームは、いかにして遠い夢だった大舞台への切符をつかんだのか。


宮崎西校 弱小野球部のとんでもない快進撃!…
東京大学硬式野球部の四番に座っていた高山久成は、目を疑った。

昨年の10月初旬。母校・宮崎西高の野球部監督、兒玉(こだま)正剛(タイトル写真右)からのメールに「今、秋季県大会の準決勝です」という一文があったからだ。

西高が県大会でベスト4――?

高山にとって、それは既に「とんでもない快進撃」だった。

県内屈指の進学校である県立宮崎西高は、部活動も活発だ。だが、野球部が県大会でこれほどの上位に入ったことはない。

「全校集会で放送部や水泳部なんかはよく表彰されてたけど、僕らは全然ステージに上がれなくて。正直、存在感は薄かった」

高山がそう回想する西高野球部の快進撃はさらに続き、ついに創部36年目にして初の甲子園行きを決めた。

公立進学校の弱小野球部に、いったい何があったのか――。


宮崎県下一の秀才が集まる進学校ゆえの「悲しい宿命」
高山を驚かせたメールを送る3カ月ほど前、兒玉は途方に暮れていた。

「かなり期待しとったチームだったんですよ。県の1年生大会で準優勝してね」

そう振り返るのは、昨年夏に引退した3年生チームのことである。最後の夏、県大会2回戦で終盤8回に5点を失い、逆転負けで涙を呑んだ。兒玉が西高に赴任して7年目。またしても、期待は泡と消えたのだった。

「それまでレギュラーはみんな3年生でしたから、新チームはゼロどころかマイナスからのスタート。どこと練習試合をやっても、もうコテンパンにやられた。とにかく失点を防がんことには、話にならん」

秋の公式戦に向けて、まずは守備を固めよう。チーム作りの方針は決まった。だが、方針通りに強化を進められないのが、西高野球部の哀しい宿命である。

宮崎市西部の高台に位置する西高は、1974年に設立された。普通科と理数科から成り、国公立大学に毎年250名前後が現役で合格、東大合格者も年平均10名は出している。特に理数科は、県下一の秀才が集まることで知られ、旧帝大や医学部への進学者も多い。

授業は、7時30分開始の朝課外から7限目までの8時間。そのため、授業を終えて練習が始められるのは夕方5時過ぎになる。それに加えて、通称「三・四・六」(サン・シ・ロウ=平日3時間・土曜4時間・日曜6時間)と呼ばれる、自宅学習の時間目標が掲げられており、7時20分には下校させられる。グラウンド整備などの時間を差し引くと、練習時間はわずか1時間半程度しかない。

レギュラー唯一の理数科で、「東京六大学で野球がしたい」という原田大暉捕手(タイトル写真左から2人目)が嘆く。

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窓際の席で、苦手だという数学の授業に臨む理数科の原田。学年末テストの出来は「微妙」。



野球か、勉強か、どっちかに絞りたいけど、それは無理
「朝は6時15分に起きて、7時ぐらいに家を出る。夜は宿題をやってから、余裕がある時だけ素振りをします。野球か、勉強か、どっちかに絞りたいけど、それは無理。『部活やるなら勉強もしろ』って親に言われてるし」

時間がないだけではない。野球部の部員数は45名と多い割に、グラウンドが狭いのだ。ライト側が65mしかなく、照明設備も乏しい。日が落ちると外野は真っ暗になり、練習に使える面積はさらに狭くなってしまう。

厳しい環境下、学業優秀な西高ナインは、練習にどんな工夫を凝らしているのだろうか。「自分たちでメニューを考えることもあるんですけど、工夫って言われても……筋トレとか走り込みとか、ほんと基礎的なんで」

小柄でずんぐりした体型の原田は、コメントしようがない、と言わんばかりに苦笑する。 実際、練習を眺めてみても、特筆すべき様子はない。監督の兒玉も、特に指示を出すでもなく、じっと練習を見守っている。兒玉は'87年、筑波大学の四番打者として明治神宮大会で優勝した経験の持ち主だ。具体的な技術を教え込もうとしないのはなぜなのか。

「僕は打者出身ですから、4点取られても5点取って勝ちたいっちゅう気持ちはありますよ。だけど、私立の強豪校みたいに選手を集めてガンガン打つ野球はできない。それに、型にはめるっていうのは、時間がかかるもんなんです。うちにはそんな時間ありませんから、のびのびやらせた方がいい」


投手に転向した1年生、戸高のただ一つの問題とは?
勉強、勉強、野球、勉強。練習に工夫を凝らせるほどの余裕もない。そんな毎日を送る野球部が、例年、県大会で早々と姿を消すのは、当然といえば当然だった。

新チームに小さな変化があったのは、始動から約1カ月が経った8月のこと。内野手だった1年生、戸高達郎(タイトル写真、右から2人目)が投手に転向したのだ。

「打撃練習で投げるのを見てたら、コントロールもいいし、ちょっと面白いかな、と」

兒玉に転向を促された戸高は、快諾した。中学時代はエース。本人曰く「第2希望みたいな感じで」投手の座を狙っていた。

意志の強そうな眉をもつ戸高は、1年生らしからぬマウンドさばきを見せた。バント処理や牽制が巧く、盗塁を察知する嗅覚にも優れている。何よりコントロールが抜群にいい。

問題はただ一つ。とにかく球が遅かった。

苦笑交じりに兒玉が言う。

「真っ直ぐは120km台で、カーブなんて90kmぐらい。でも、緩い変化球をうまいこと使えてるから、真っ直ぐも速く見える。真ん中寄りに甘く入ることもほとんどない」

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“急造エース”と“堅守”の意識を携えて。
捕手の原田は、戸高の特長をこう表現する。

「むちゃくちゃすごそうなバッターの時でも、なんか、のほほんとしてますね。インコースに構えても、大胆にズバズバ投げてくる」

緩急、図太さ、コントロール。3つの武器を駆使する、願ってもない“急造エース”が誕生したのである。

一方、野手陣は、守りの強化に地道に取り組んでいた。守備に高い意識を置くようになったのは、練習試合で大量失点を重ねていたからだったが、理由はそれだけではなかった。

ある部員が、興味深い話を聞かせてくれた。

「(夏に引退した)先輩たち、うまかったんすけど、球際のプレーがちょっと雑になるところがあって……。自分たちは、とにかく堅実にやろうって意識を持つようになりました」

9月の末、“急造エース”の誕生と“堅守”の意識を携えた西高野球部は、新チーム初の公式戦となる秋季県大会に臨んだ。

ところが、初戦となった2回戦の先発マウンドに上がったのは、戸高ではなく、背番号「1」をつけた2年生、沓掛堅也(タイトル写真左)だった。


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