疑惑の人 | 相続こころの整理術

相続こころの整理術

相続について知りたいけれど、落としどころの決まっている業者の説明会が苦手、士業への相談も敷居が高いという方に向けて、相続人に寄り添いながら、人生の問題として相続問題に向かい合います。終活で日々の暮らしを大切に、自分らしく生きることを目指します。

本日、21日付けで都知事が辞職しました。という出だしで書いてみましたが、当然政治の話ではありません。相続の話です。


今回の辞任に至る一連の流れは、まさに“疑惑”が原因でした。高額過ぎる海外視察に端を発し、公用車など様々な税の使い方に都民ばかりか国民が“疑惑”を持ち、それに対し最初は高飛車な態度、追及を受けても本人の誠実な説明がなく、中立な第三者の判断も根拠とする事が曖昧で、人々の信用をすっかり失いました。


そして最後まではっきりした説明がないまま終了。この気持ちの悪さ、何も税金の使い方だけに限りません。相続を迎えた時、その前の親の介護にさかのぼって、“疑惑”が生じることがよくあります。


親の見守りや世話には、大体、主となる子がいて、少し距離のある子もいる、というのが多くのケースです。必ずしも親への思いの違いではありません。事情によって、あるいは仕切り屋の子がいるなど、きょうだいに任せるしかない子もいます。


他のきょうだいがアメリカとヨーロッパ在住の友人も、主となって親の世話をしました。親が高齢になると、施設探しや実家の片付けや売却、引っ越しなど忙しそうでした。認知症ではなかったものの、施設入居後に病気で入院、その他あれやこれやも。最期は、医者に時期を言い渡されて帰国が間に合い、3人の子揃って臨終を見守ったそうです。


こんな風に、親の介護ではその家の事情で主となる存在と、そうでない子に分かれます。


そしてお金の話をするのは、日本人はどうもハシタナイという感覚を持っていて、元々は同じ家族でありながら、触れる事がないため、それが“疑惑”のもととなってしまいます。


お金の話は、親子間であってもしずらいものです。現在40歳・50歳で、親の預貯金額を知らされている人はどのくらいいるのでしょう。よほど何かが起こらないと、把握する機会はないと思います。借金すら(ほど?)、子には伝えないと思います。


高齢となって、親が自分のお金の管理ができない期間を経て、相続が生じ、ほとんどお金が残っていなかった時、関わりの薄かった子は、主として親の世話をしたきょうだいに、使い込み、あるいは生前に貰っっていた“疑惑”を持ってしまうものです。


一度“疑惑”を持つと何もかもが疑わしいのは今回の知事の件と同じです。ただ税金と違って、家族間の密室での“疑惑”ですから、息が詰まります。しかし、まだまだ私の年代でも「うちは大丈夫。」と思っている人が多いのです。


私自身は近いうち、子どもたちに伝えておこうと思っていることがあります。


ずっと先、私たち夫婦の後に残った一人がいよいよ介護が必要となったら、年に一度はきょうだいが顔を合わせて「報告会」をする様にと。遠くに住んでいる子がいたらスカイプでも構いません。


そこでまずはお金の報告、親の状態、介護で何に困っているか、出来る範囲で協力できること、などざっくばらんに話せる機会を持ってほしいのです。時間と共に介護認定が変わったり、必要な介護用品(出費)・サービスも変わります。また国の方針で、個人の負担もどう変わることやら・・。定期的に全員が状況を把握することは大事です。


そもそも中学以降は家族全員が揃って同じ時間を過ごすことは少なくなります。大人になって自立すればなお更。それぞれ家庭を持ってまで、「ねばならぬ」で嫌々集まるよりも、それぞれ都合のいい時に、私たち親に会いに来てくれたら十分です。


ただ離れていても忙しくても、高齢となった親に関しての情報の共有は、必要だと考えます。後々誰かを悪者にしないため、一人で苦労を抱え込まないため、仕事の事務連絡や会議と思って、報告会はしてねと伝えます。こういう事は逃げ腰の男はアテにならないので、相続人でない嫁を含め、女性陣にしっかり伝えようと思います。まだまだ20代の素直な子たち。「将来残った方が介護になったらね・・」と、笑って話せる今から、重要性を知ってもらうつもりです。


現在、子たちはそれぞれ違う都県に住む状況で、既に物理的には親を中心とした交流関係になっています。私たちが居なくなったら、もう私たち夫婦の作った家族からは卒業の時を迎えてもいいのでは、と思います。私たちの供養も、それぞれが都合の良い時にしてくれたら十分です。


その卒業を、憎しみ合ってではなく、良い関係で卒業していって欲しいのです。憎しみ合いさえしなければ、従来の形にとらわれず、つながりはゆるくていい。これは命がけで子を産み育てた親としての想いです。


親のお金は、ただお金の事ではありません。それが親と子の関係の証でもあるのです。きょうだいは親の愛情を奪い合うライバルでもあり、子にとって親からの譲り受けは、自分の存在価値に繋がります。


一般的に、相続で豹変する子がいるとよく聞きますが、財産の事だけではなく、むしろ自分の存在の証として権利を主張するのです。もし子の中で強い仕切り屋さんがいたら、相続ばかりは誰かさんの様に高飛車に出てもダメだと心して下さい。一人でもハンコを押さないとスムーズに成立しない相続。年上も年下も男も女もなく、誰もが平等であると自覚し、それが親の作った家族からの卒業と自立ということになるのでは。


どの子も“疑惑の人”にさせないよう、親自身が意識と知恵を持って欲しいものです。
親を見送った年齢になったら、親のことで存在価値に苦しみ、肉親を憎むのではなく、残りの人生を、思い切り自分らしく有意義に生きて欲しいと願います。