Q.日本では、公園でのボール禁止が増えて、気軽にサッカーができる場所がどんどん減っています。

 

佐伯さん:私の年代の時は、女の子も含めて隙間時間があれば突然サッカーが始まり、そういう環境でサッカーを覚えていきました。今の子供達は構造化された環境の中で、決まった時間の中で十分な用具を使ったトレーニングを「受ける側」としてサッカーを覚えています。(中略)ストリートサッカーは、コーチや審判もいないし、ファウルをしても止めてくれる人がいない中、自分たちの知恵を絞りながら手探りでサッカーをします。(中略)だからブラジルから面白い選手が未だに生まれるという話が根底にあります。

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これは、最初の質問に対して、スペインでもサッカーの指導経験を持つ佐伯夕利子さんの回答です。

本当に多角的な視点を持った、素晴らしい回答ではないかと思います。

 

元々サッカーは遊びです。

英語では「play」,スペイン語では「jugar」、いずれも「遊び」という意味です(日本では選手;選ばれた人ですが…)。

ただ、サッカーの存在が大きくなり過ぎている昨今では、もはや、その範疇を超えた複雑なものに形を変えてしまっています。

今こそ、原点回帰すべきタイミングなのではないかと、私は考えています。

 

遊びで楽しいから、一生懸命練習する。それが自然で理想的な形です。

ですが、日本では一生懸命練習するから、いつか楽しくなる日が来ると思っていることが多い様に感じます(受験システムもそれに近いものがあるかもしれません)。

また、自発性を育むという意味でも、少し物足りなさがある様に感じます。

それでは順序が逆で、最も大切なものを見失っている様に思います。

 

元来、人間という生き物は、仕事でも何でも、楽しくなれば、一生懸命やりたくなる様にできています。

私の友人でも、学生時代は嫌々部活をやっていた選手が、大人になり、ゴルフを好きになり、早朝に起きて、率先して遠方のゴルフ場に出かけたりしています(もちろんサッカーでもそういう人は多いです)。

朝練が嫌いだった人でも、好きになると、自発的にそういう行動を取ったりする様になるのです。

サッカー先進国に近づく為には、そういった根本の部分の変革が必要であると私は感じています。

 

江戸川フットサルアカデミーでは、そういう部分を大切にして指導をしていきたいと考えています。

我々が介入し過ぎることで、自発性や考える力を奪ってしまうこともあるので、そこは十二分に気を遣っている部分でもあります。

つまりは、良かれと思って言ったことが、長い目で見るとマイナスに作用することもあるので、子供たちの「邪魔をしない」ことも大切にしているのです。

 

とは言え、上手くプレーするコツを伝えることも大切な仕事でもあるので、そこのバランスを取るのが非常に難しいところなのですが…

なので、実際には、最初は構造化されたトレーニングを行ったとしても、最後のゲームだけは、自由な雰囲気を作ったりする様に心がける等して、工夫をしています。

躾や規律も、構造化されたトレーニングも、自由な発想も、全て不可欠なものなので、指導というのは、本当に難しいのですが、これからも良いバランスを保って指導できる様、頑張っていきたいと思います。

 

ということで、本年も大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い致します!